美術館訪問記-284 ミレスゴーデン彫刻庭園

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ミレス作「ポセイドン噴水」
 ヨーテボリ、ヨータプラッツェン広場

添付2:ミレスゴーデン彫刻庭園から対岸のストックホルム市街を眺める

添付3:ミレスゴーデン彫刻庭園内の旧ミレス邸

添付4:旧ミレス邸内部

添付5:ミレス作
「神の手」

添付6:ミレス作
「搬送の精霊」

添付7:ミレス作
「ミューズの泉のアガニッペ」

添付8:ミレス作
「人とペガサス」
箱根彫刻の森美術館蔵

ノルウェーの隣国スウェーデンの首都ストックホルムにも個人彫刻庭園があります。

それがスウェーデンの誇る彫刻家カール・ミレスの邸宅と庭園に彼の作品が 展示されている「ミレスゴーデン彫刻庭園」。

カール・ミレス(1875-1955)はカール・アンデションとしてスウェーデンに生まれ、 17歳から22歳まで家具職人として働きながら、工芸学校で木彫を勉強。 スウェーデン手工業組合から奨学金を得て、22歳でパリに出、7年間美術学校で 解剖学を学びつつロダンの助手を務めます。

1900年のパリ万博では銀賞を獲得し、徐々に彫刻家として認められて行きます。 この頃、父親のニックネームだったミレを採って、フランス人に判り易いように ミレスと改姓します。

家具職人だったり、木彫を学んだり、ロダンの下で働いたり、改姓したりと 6歳年上のグスタフ・ヴィーゲランに重なりますね。

29歳でパリを離れ、ミュンヘンでドイツ彫刻界の巨匠ヒルデブラントの下で 学んだり、オランダやベルギーを旅したりして見識を広げた後、 1906年ストックホルムに戻り、市の北東にあるリディンゴー島に居を構え、 2年間でミレスゴーデン彫刻庭園を作り上げるのです。

やがてスウェーデンを代表する彫刻家として認められて行き、 1920年から1931年にかけて王立美術学校の教授を務めます。

この頃、隣の土地も購入し、彫刻庭園はいよいよ本格的になっていきます。

1927年にはロンドンのテート美術館で個展を開催する等、国際的な名声を獲得。 スウェーデン国内にランドマークとなるような公共彫刻や噴水等を次々と 受注、制作して行きます。 第90回のヨーテボリ美術館前の広場にある巨大なポセイドン像も彼の作品です。

1931年にはアメリカに招かれ、クランブルック美術学校で教鞭を執る傍ら 数多くの彫刻をアメリカの公共の場に提供していきます。

アメリカに定住した1936年、ミレスゴーデン彫刻庭園をスウェーデン国民への 贈り物として邸宅もろとも、国に寄贈します。

ミレス夫妻は1950年、スウェーデンに帰国。 ミレスゴーデン彫刻庭園脇に新居を建てて住み、ミレスが生涯に制作した モニュメントの複製を作成し、彫刻庭園に追加していきました。

5年後、ミレスは死亡。ミレスゴーデン彫刻庭園内にあるミレスのデザインした 石造りの小さな礼拝堂に、12年後に亡くなった妻のオルガと共に埋葬されています。

ミレスゴーデン彫刻庭園はバルト海を眺望する美しい丘の上にあり、 躍動美溢れる彼の彫刻を楽しみながら、海風に吹かれてそぞろ歩きするのは、 贅沢な気持ちがしたものでした。

想像力豊かな構図、自由奔放な動きを得意とする彼の作品は、 空を背景にした野外で特に映えるようです。

日本の箱根彫刻の森美術館にもミレスの作品があります。