美術館訪問記-280 国立シュヴェリーン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:フランス・ハルス作
「フルートを持つ少年」

添付2:フランス・ハルス作
「水を飲む少年」

添付3:シュヴェリーン城

添付4:国立シュヴェリーン美術館正面

添付5:レンブラント作
「サスキアといる自画像」

添付6:カレル・ファブリティウス作
「歩哨」

添付7:ヘラルト・ドウ作
「ニンジンの皮をむく女性」

添付8:ルーカス・クラナッハ父作
「若者の肖像」

フランス・ハルスが17世紀オランダ絵画黄金期を代表する画家と言われるのは、 前回触れたような集団肖像画における卓越した手腕も勿論ですが、 繊細に筆を走らせて描く同時代の画家たちとは対照的に、 豊かで自由闊達な素描的筆使いによって、後の印象派的な躍動感と 対象の性格に肉薄する迫真性ある肖像画を描いた事も大きく寄与しています。

ハルスは、そのパワフルで大胆な筆遣いから、最初の「近代画家」とも言われます。

彼の個人肖像画には下絵を描かず即興的に直接色を塗って、粗いタッチで 無造作に描かれたように見えますが、それぞれが統合されて、質感のある人物像を 描き出している物が多い。名人芸と言えましょう。

そのような画例がある「国立シュヴェリーン美術館」を採り上げましょう。

シュヴェリーンはドイツの北部、ハンブルクの東80km余りの場所にある古都で、 メルヘンから抜け出たようなシュヴェリーン城がある事で有名です。

国立シュヴェリーン美術館はその城と向き合うように建っており、1882年 フリードリヒ・フランツ2世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)の建造で 擬古典主義の堂々たる建物。

我々が訪れた時には、美術館前に彩色された犀の彫刻が10体ほど置かれていました。

歴代の王が収集した、ドイツ最大という550点ものオランダ絵画の所蔵を誇り、 フランス・ハルス以外にもレンブラントと彼の弟子カレル・ファブリティウスや ヘラルト・ドウ、それにステーンやサロモン・ファン・ロイスダール等もあります。

レンブラントのエッチングやデッサンは168点もありました。

カレル・ファブリティウスはレンブラントの最も才能ある弟子と 見做されていたのですが、アムステルダムのレンブラント工房で絵を学んだ後、 1650年代初頭にデルフトへ移り、画家として暮し始めます。

しかし1654年、弾薬庫の40トン以上の火薬が爆発し、 デルフト市街の4分の1が破壊され、死者100人以上が出る大惨事が起きます。

ファブリティウスも巻き込まれ32歳で不慮の死を遂げました。 この爆発で作品の大半も失われ、今日に残る彼の作品は10数点に過ぎません。

強烈なレンブラントの影響力から脱して独自の様式を築くことができたのは 多くの弟子達の中で、ファブリティウスだけと言われています。

レンブラントの作品には、暗い背景に主題のみにレンブラントライトと呼ばれる 左上からの強い光が当っている物が多いのですが、ここにあるファブリティウスの 死の年に描かれた「歩哨」では明るい白壁が背景となり、淡い光が全体を照らして います。色調や構成も静かで落ち着いたもので、師とはかなり異なります。

これらの特質はデルフトの10歳年下の画家、フェルメールに共通しており、 誰の下で修業したか確証のないフェルメールの師匠ではなかったかとも言われます。

同じレンブラントの弟子だったヘラルト・ドウの作品は、師の特質をそっくり 引き継いでいるかのようです。

他にもクラナッハ父子やティントレット、ヤン・ブリューゲル父子、ルーベンス、 ヨルダーンス、ゲインズバラ、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、 フランツ・フォン・シュトゥック等があり、見応えあるコレクションでした。