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美術館訪問記-28 トレド大聖堂

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:トレド大聖堂正面

添付2:トレド大聖堂内部

添付3:トレド大聖堂主祭壇

添付4:ルカ・ジョルダーノ作
「聖イルデフォンソの昇天」

添付5:エル・グレコ作
「キリストからの略奪」

添付6:トレドのパラドールから見た黄昏のトレド旧市街

スペインの首都、マドリードの南南西70kmの所にトレドがあります。 昔は西ゴート王国の首都であり、古い街並みが残り、町全体が博物館と言われます。 「もしスペインで1日しかないなら、迷わずトレドへ行きなさい」と言われるのは、 1日で回れる広さと、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の混在する スペインの文化を象徴する町だからなのです。

トレドの旧市街は、三方をタホ川に囲まれ直径1200mほどのいびつな円形をした 小さな街です。 このほぼ中心に「トレド大聖堂」があります。

ここはスペインの主席大司教座、 つまり全国のカトリック寺院の内最も権威のある大聖堂で、 1226年着工、約270年の歳月をかけて1493年に完成。

基本的にはゴシック様式ですが、その後多くの増改築があり、 5つの身廊を持つバシリカ・スタイルになっています。 ファサードには三つの扉があり、それぞれ地獄の扉、免罪の扉、 裁きの扉と名づけられています。

正面ファサードの上部には最後の晩餐を描いた彫刻があります。 ファサードの両端には2本の塔が立っており、 一つはフランボワイヤン・ゴシック様式、 もう一つはゴシック・ルネサンス様式のドーム型。 周囲には他に大時計の扉、ライオンの扉など計5つの扉があります。

ここは教会としては珍しく、 観光客はチケットを購入して入場しなくてはなりません。 そのチケットは流石に大聖堂が販売すするには抵抗があるのでしょう、 入り口の向かいにある売店で購入することになっています。

聖堂内部は薄暗く、ひんやりとしています。 広々として幾つもの部分に分かれています。 主礼拝堂の祭壇はキリストの生涯を20場面で表し、 聖書をテーマとしたものの中で最良といわれます。着色した木彫です。 枢機卿メンドーサの大理石の棺も美しい。

中央にある聖歌隊席は凝った造りで、端にある参事会室には四方の壁に 歴代司教の肖像画が、キリスト教誕生以来の顔触れで並んでいます。 最近の4人は写真と見違えるほど写実的で、直近の10人は皆眼鏡をかけていました。

入口の反対側右手にある聖具室(Sacristia)は美術館になっています。 ここはそこいらの美術館ではとても太刀打ちできません。

なにせジョヴァンニ・ベッリーニ、ティツィアーノ、ラファエロ、リベーラ、 ルーベンス、スルバラン、ダイク、ヴェラスケス、ゴヤが揃い、 エル・グレコに至っては10作も並んでいるのですから。

エル・グレコは興味ある画家です。 名前もイタリア語のギリシャ人を意味する「グレコ」に スペイン語の男性定冠詞「エル」がついた混合名。

本名はドメニコス・テオトコプーロス。本人は本名でサインしています。 そのあだ名の通り1541年ギリシャの生まれで、イコンの画家になった後 26歳でヴェネツィアに渡り、ヴェネツィア派の色彩の洗礼を受けます。 最晩年のティツィアーノの弟子になっていたともいわれます。 3年ほどでローマに出、工房を構えます。

この頃スペインでは、フェリペ2世がエル・エスコリアル修道院を建設中で 内部を飾る絵画の旺盛な需要がありました。 グレコはそれに参画すべく1577年スペインに渡ります。 しかし彼の描いた「聖マウリシオの殉教」はフェリペ2世のお気に召さず、 宮廷画家の道を閉ざされた彼は、トレドで残りの37年を過します。

この聖具室の天井は250平方メートルあり、 ルカ・ジョルダーノの「聖イルデフォンソの昇天」で埋め尽くされています。 中央に大理石製の主祭壇があり、そこにはエル・グレコがトレドに来た 最初の頃に描いたという「キリストからの略奪」が飾られています。

1579年の作で、縦長の画面中央に大きく真紅のマントを身に着けたキリストを配し、 隣のそのマントを剥ぎ取ろうとしている男には補色の緑色の服を着せており、 色彩効果も鮮やかです。 グレコ特有の引き伸ばされた肢体はまだ登場していません。

スペインには国営のホテル、パラドールが全国に散在しています。 地方ではこのパラドールが最も格式が高く、安心して宿泊できます。

特にトレドのパラドールはトレド旧市街の対岸の高台に位置し、 旧市街の全貌を見渡せる最高の場所にあります。 ここのレストランも素晴しい。

ここから見る対岸のトレドの街並は、昇り始めた朝日に輝く時も、 夕陽の沈む黄昏時も、息を呑むほど美しく、 妻と二人、時の経つのを忘れて見入ったものでした。

注:

ゴシック:12世紀後半フランスで発足した教会建築の様式。
後にその時代の装飾、絵画、彫刻等美術一般を総称するようになった。 元々はルネサンス期にイタリア人が、ゴート族が造ったような野卑で野蛮な代物 という蔑称で使った。

バシリカ:建築の平面形式の一つで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を、 側廊によって取り囲むものをいう。身廊と側廊は列柱によって分けられる。

ファサード:英語のフェイスと同じ語源のフランス語。建築物の正面を指す。

フランボワイヤン:炎の燃え上がるようなという意味の言葉で、 15世紀から16世紀にかけての,後期フランス・ゴシックの様式を指す。 窓や飾破風の装飾が,火炎の形状に似るところからこの名をもつ。

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