美術館訪問記-279 フランス・ハルス美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ハールレム風景

添付2:フランス・ハルス美術館のあるフロート・ハイリヒラント通り

添付3:フランス・ハルス美術館

添付4:フランス・ハルス美術館内部

添付5:フランス・ハルス作
「ハールレムの聖ゲオルギウス市警備隊の士官の宴会」

添付6:フランス・ハルス作
「養老院の女理事たち」

添付7:ヤン・マンデイン作
「聖アントニウスの誘惑」

添付8:サロモン・ファン・ロイスダール作
「渡し船と要塞のある川の風景」

第276回でフランス・ハルス作「ピーター・オリカンの肖像」と書きながら、 フランス・ハルスの名前を冠した美術館を思い出していました。

それはオランダのアムステルダムと大西洋との中間付近にある町ハールレムにある 「フランス・ハルス美術館」。

ハールレムというとニューヨークのハーレムを連想する方もおられるでしょう。 ハーレムは元々オランダ系移民が多く住んでいた場所で、故郷の町の名をとって ハールレムと呼んでいたのが短縮されてハーレムと呼ぶようになったのです。

ハーレムは昔のダーティーなイメージとは異なり、今は見違えるほど 綺麗になっていますが、ハールレムは1245年に都市権を得た、 オランダではアムステルダムより古い、歴史ある素敵な町です。

運河沿いに立ち並ぶ個性際立つ家々、特にフランス・ハルス美術館が建っている、 フロート・ハイリヒラント通り(オランダ語で「大いなる聖なる地」という意味)は レンガ造りの古い切妻屋根の家並みが続く風情ある場所です。

1862年に教会を流用して開館していたハールレム市立美術館が手狭になったため、 1608年建造の養老院の建物を利用して、1913年拡大開館したものです。

当地で活躍したフランス・ハルスの名前を冠していますが、 彼の作品は10点に限られ、他のオランダ人画家の作品が700点以上あります。

フランス・ハルス(1582-1666)はベルギー、アントワープの商人の生まれですが、 当時スペイン領だったため、多数の人々が自治領のハールレムへ移り住み、 ハルスの家族もその中にいました。

自治領で宮廷や貴族のないオランダでは市民が社会の中心であり、市民の家庭や 組織に飾るための絵画の需要が旺盛で、ハールレムでも1605年からの30年だけで 10万枚以上の絵画が描かれたという記録があります。

このような環境下でフランスも弟のディルクも画家になっていますが、 フランスが画家組合のメンバーとして認められたのは1610年の事でした。

この美術館にはフランス・ハルスが1616年に描いた、彼の最初の集団肖像画 「ハールレムの聖ゲオルギウス市警備隊の士官の宴会」があります。

集団肖像画とは文字通り複数の人物の肖像画の一形式ですが、西欧絵画の歴史上 17世紀のオランダがその最盛期でした。 同業者組合や自警団、理事会、参事会等様々な組織のメンバーが、肖像画の主役 として、個人で頼むよりは格安で、登場できたからです。

集団肖像画では描かれる人物の一人一人をいかに目立たせるかが画家の腕の 見せ所であり、同時に画面全体の統一も考えなければなりません。

それまで描かれていた集団肖像画の人物像が画一的で、何か堅く硬直的な印象を 与えるのに比べ、本作品の人物は表情も身振りもより自然で、各人の個性が 十分描き別けられています。

色彩構成も巧みで、黒い服に、旗と襟と肩帯の赤と白とオレンジが強調され、 軽快なリズムを響かせています。

この絵は好評で、中央で振り返るファン・デル・ミア大尉はその後単独の 肖像画を頼んでいるように、フランス・ハルスは売れっ子の肖像画家として ハールレムからほとんど離れることなく84歳の長寿を全うしています。

最晩年の1664年に描かれた「養老院の女理事たち」は、敬虔なプロテスタントで、 資産家あるいは町の有力者の妻である理事たちを描いたものですが、 暗い部屋、黒い服と対照的に白く輝くような襟と顔、手。 表情は厳粛でありながら、内なる女性らしさを含んでいます。

対象の内面への深い洞察による克明な人物描写が示され、後に写実主義の大画家 クールベや印象派の巨匠マネ、ゴッホなど数多くの画家を魅了しています。

ゴッホが「彼は27色の黒を使っている」と言ったほど、 ハルスは黒の魅力を知り尽くしていました。

この美術館には他にもボスの同名の絵からヒントを得たと思われる ヤン・マンデインの「聖アントニウスの誘惑」やオランダ風景画の代表者 サロモン・ファン・ロイスダールやヤコブ・ファン・ロイスダールの作品等も あり、街並みと併せてゆっくり楽しめる場所です。