美術館訪問記-275 サルバドール・ダリ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サルバドール・ダリ美術館外観

添付2:サルバドール・ダリ美術館内部

添付3:サルバドール・ダリ美術館3階

添付5:ベラスケス作
「ブレダの開城」
マドリード、プラド美術館蔵

キーウエストから北上して行くとフロリダ半島の西側中央付近に セントピーターズバーグという都市があります。 近隣のタンパとともにタンパ・ベイエリアと呼ばれる大都市圏を形成して、 この大都市圏の人口は約280万人。

アメリカの都市名はヨーロッパのどこかの都市名をそのまま使用しているのが 多いのですが、この都市の創設者がロシアのサンクトペテルーヴルク出身で アルファベットで書けば同じ綴りを米語読みしたのが都市名になっています。

この町のタンパ湾に面する場所に、ヨーロッパ以外では最大のダリ作品の所蔵数を 誇る「サルバドール・ダリ美術館」があります。

第82回でダリ本人が立ち上げたスペイン、フィゲラスにあるダリ美術館を 採り上げましたが、この美術館はその本家に勝るとも劣らない。

なにせダリの油彩画96点、水彩画100点、グラフィック、写真、彫刻、 オブジェクト等1300点という超弩級のコレクションなのです。

しかもダリ生涯のマスター・ワーク18作品の内7作品を所蔵しているのですから。 これは勿論世界一。ちなみにここで言うマスター・ワークとは一辺が1.5m以上の 作品で、制作に1年以上をかけた物を言います。

この素晴らしいコレクションを作り上げたのは、アメリカの実業家 レイノルズ・モースとエレノア・モース夫妻。

二人は結婚前のデートで出かけた1942年のクリーブランド美術館で開催された ダリ回顧展でダリの芸術にいたく感動し、結婚後の翌年初めてダリの作品を購入。

翌月モース夫妻はダリと彼の妻ガラにニューヨークで会い、お互いに意気投合して、 夫妻はダリのパトロンとなり、以後直接ダリから作品を購入するようになります。

ダリは第2次世界大戦を避け、1940年から8年間アメリカに亡命していたのです。

1948年スペイン、ポルト・リガトに居を戻したダリをモース夫妻は定期的に訪ね、 初対面から40年間も続く友好関係を保ったのです。

モース夫妻は彼等のコレクションを展示する美術館をオハイオ州のビーチウッドに 1971年ダリ自身が主宰して開館しますが、観客の増加に答えるべく、 1982年、セントピーターズバーグの広い海運倉庫を美術館に改造して移館します。

しかしこの元倉庫は天井が低く、大きな作品の展示箇所は床を下げており、 海の直ぐ側であることからハリケーンの被害に留意が必要でした。

このため1kmほど北に新たに広い土地を購入し、3千万ドルをかけて 3階建てのビルを建築。45cm厚の鉄筋コンクリート壁で、ダリの作品展示は 3階のみに限り、風水害の被害に備える体制となっています。2011年開館。

1階は広大なミュージアム・ショップやカフェ、会議室があり、 2階は事務室、図書室、研究室に充てられています。

奇抜な事を好んだダリに合わせてか、内部には奇抜な螺旋階段が設けられ、 3階まで登れるようになっています。勿論エレベーターは別にありますが。

外部にも奇抜な三角ガラスの組み合わせで出来た曲面壁が付着しています。 ダリの出身地フィゲラスにある劇場美術館のドーム型天井を連想させる構造です。 1062枚の三角形ガラスで構成されているのだとか。

3階の展示室前は楕円形ロビーになっていて、 三角形を組み合わせた曲面ガラス天井がフロリダの青空を見せて美しい。 螺旋階段内側のコンクリート壁面は階段部よりも上部に装飾的に伸びています。

この美術館の数あるダリ作品の中でも、筆頭に挙げられるのは 「クリストファー・コロンブスのアメリカ発見」でしょう。410x285cmの巨大作品。

1989年に初訪館した時は、掘り下げた床だけでは足りず、この絵は斜めに傾けて 展示されていました。

スペインの歴史と宗教、芸術、神話を一つの画面に統合した傑作です。

主題は題名の示す通りですが、コロンブスは古代ローマの衣を纏う思春期の 少年として描かれ、発見されたアメリカが将来の可能性を秘めた大陸である事を 象徴しています。

第2次世界大戦後カトリックに帰依したダリは妻のガラを聖母マリアに見立てた 作品を数多く描いていますが、ここでもコロンブスの右手に掲げる旗に、 その姿があり、キリスト教と真の教会を新大陸にもたらす行為を様々なイメージを 散りばめて神秘的に幻想的に描いています。

画面の至る所に並ぶ縦の棒は、ダリの尊敬するスペインの偉大な画家ベラスケスの 「ブレダの開城」のメタファーで、スペインの誇るべき芸術の継承を示しています。

この絵でダリは、現代人にとっての幻想が、単なる野放しの想像力の産物ではなく 精密な写実と周到な準備なくしては発露出来ない事を示唆しているかのようです。

画面下中央に奇妙な光輪のある海栗のような物があります。 レイノルズ・モースはこれが気に入らず、ダリに塗り潰すように頼んだ所、 ダリはそれはこの絵の重要な要素であり、欠くべからざるものだと断った。

モースは渋々受け取ったものの判然としないまま10年が過ぎ、 アポロ11号の月面着陸をテレビで見ている時に突然覚ります。

ダリに電話して「あの海栗はコロンブスの伝統にひそみアメリカが探求すべき 他の天体なのだ」と言うと、ダリは「当たり前だ。そんな事に気が付くのに 随分時間をかけたものだ。信じられない。私は仕事に戻らねばならないから」 と言って電話を切ったというのです。

(添付4:サルバドール・ダリ作「クリストファー・コロンブスのアメリカ発見」、添付6:サルバドール・ダリ作「幻覚剤的闘牛士」および 添付7:サルバドール・ダリ作「亡き兄の肖像」 は著作権上の理由により割愛しました。
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