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美術館訪問記-27 ソローリャ美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ソローリャ美術館入口

添付2:ソローリャ美術館の庭

添付3:ソローリャ美術館内の旧アトリエ

添付4:ソローリャ美術館内掲示の一作

添付5:ホアキン・ソローリャ作
「自画像」
1909年

添付6:ソローリャ美術館内掲示の一作
モデルはソローリャ夫人

スペイン、マドリードの中心街に近い場所に「ソローリャ美術館」があります。 スペイン、バレンシア生まれで「光の画家」と呼ばれる、 ホアキン・ソローリャ・イ・バスティーダ(1863-1923)の自宅が、 本人と未亡人の死後、国に遺贈され、1932年に美術館として解放されたものです。

ソローリャは、スペインのみならずヨーロッパ、アメリカではよく知られた画家で、 欧米の美術館ではルノアールやモネと同等の頻度で見かけます。 光と空気の織りなす美しさをそのまま表現しようとする外光派と呼ばれ、 光に満ち溢れた印象派風の絵が多く、著名人の肖像画も多く手がけました。

両親をコレラで亡くし、2歳で孤児になったソローリャは伯父の家で育てられます。 14歳から絵画を学び、18歳でマドリードに出て、プラド美術館に通い、 古典を模写して腕を磨きました。 兵役終了後奨学金を得て、22歳でローマに行き、パリにも長期間滞在して、 当時最先端の印象派絵画を習得します。 25歳で帰国し、結婚してマドリードに居を構え、画家として暮らし始めます。

彼がポピュラーになったのは、1892年のマドリード万博で金賞、 1900年のパリ万博でグランプリを獲得したことによります。 続く1906年パリで500点もの作品を展示した展覧会、1909年ニューヨークでの 展覧会がともに大成功をおさめ、名声は不動のものになりました。

アメリカ滞在中は肖像画の依頼が後を絶たず、時のタフト大統領を始め、 5ヶ月間に20作を超えるというありさま。

ソローリャ美術館のあるサラマンカ地区は、 19世紀に上流階級用の住宅地として造られた所で、 現在は高級なブティックや官公庁、マンション等が建ち並んでいます。 その間にオアシスのように、 美しい庭園に取り囲まれたソローリャ美術館があります。

パティオのある3階建ての豪邸で、まるで貴族の館のよう。 ソローリャの当時の声望が窺えます。 1200点ものソローリャ作品が展示されているというのですから、 邸内の広さも推測されるでしょう。

2階分ぶち抜きの高い天井のある広いアトリエの四方の壁にも、 彼が私淑したヴェラスケスの模写や、自作の風景画、 肖像画が何段にも隙間なくかかっていました。

陽光に溢れた彼の絵は、満ち足りた彼の心境を映すかのように、 伸びやかで、穏やかな喜びが伝わってくるものでした。

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