美術館訪問記-268 モランディ博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ジョルジョ・モランディ作
「自画像」1925年
マニャーニ・ロッカ財団美術館蔵

添付2:ジョルジョ・モランディ作
「静物」

添付3:ジョルジョ・モランディ作
「形而上学的静物」

添付4:モランディ博物館があるボローニャ市庁舎

添付5:モランディのアトリエ

添付6:モランディ博物館内

添付7:ジョルジョ・モランディ作
「風景」

添付8:ジョルジョ・モランディ作
「風景」

添付9:ジョルジョ・モランディ作
「静物」

スルバランの静物画を見ながら現代の静物画の名手を想い起された方も おられるでしょう。

その名はジョルジョ・モランディ。

20世紀前半、様々な芸術運動が吹き荒れた中で薄暗いアトリエにこもり、 生涯独身で、静物画を中心にひたすら己の芸術を探求した画家でした。

彼の静物画は一目でそれと判る、独特の個性を持っています。

スルバランやストスコップフのような超写実的絵画とは全く異なるのですが、 雄弁な沈黙とでも言いましょうか、我々の魂の奥底に語りかけて来るような、 心によって形が与えられているような不思議な存在感があります。

モランディがピエロ・デッラ・フランチェスカに心酔して、 フレスコ画の研究も熱心に行ったというのは十分理解できます。

ジョルジョ・モランディ(1890-1964)はボローニャの生まれで、17歳の時に、 自宅近くのボローニャ美術アカデミーに入学して レンブラントを手本にエッチングを習得。

卒業後は小学校の美術の先生になり、40歳で母校の美術アカデミーの教授に就任。 その間25歳の時に軍隊に入り、病気のため数週間で除隊しています。

モランディは生涯ボローニャのアパートメントと、避暑地のボローニャ近郊の村で 過ごし、絵画研究のためにローマやフィレンツェにはたまに出かけたものの、 海外旅行をしたのは66歳になって初めてパリを訪れた一度だけでした。

1910年代末から1920年代始めにかけて、ジョルジョ・デ・キリコらのいわゆる 形而上絵画の画家たちと接触し、キリコ風の作品を残していますが、 その後は静物画と避暑地のグリッツァーナ村の風景画の2つの主要テーマに 集中して生涯を送っています。

1950年代から国際的な名声が高まり、1953年サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で 大賞、1957年には同じくサンパウロ・ビエンナーレ絵画部門で大賞を受けています。

モランディが生涯を過ごしたボローニャの街の中心、マッジョーレ広場に建つ 市庁舎の3階に「モランディ博物館」があります。

モランディの1910年から1964年までの作品を網羅し、彼の全貌を一望できる 世界最大のモランディ・コレクションを誇る博物館です。

館内には彼のアトリエも保存され、彼がモチーフとして描いた静物も 展示されていました。我々が初めて訪れた1995年には油彩画74点、水彩画25点、 デッサン・エッチング166点が展示されており壮観でした。

この時初めてモランディの本質を理解したように思いました。

モランディが手本にしたレンブラントのエッチングも4点ありました。

2014年に3度目の訪館をした時は、展示場修復のため、ボローニャ現代美術館に 仮住まいしていましたが、総展示数も76点とずっと少なく、アトリエもありません。

改装なったモランディ博物館を訪れる機会を楽しみにしています。