美術館訪問記-265 セビーリャ県立美術館 

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:フランシスコ・デ・スルバラン作
「聖ブルーノと食卓の奇跡」

添付2:フランシスコ・デ・スルバラン作
「茶碗・アンフォラ・壺」
マドリード、プラド美術館蔵

添付3:フアン・デ・スルバラン作
「果物とゴールド・フィンチのいる静物」
バルセロナ、国立カタルーニャ博物館蔵

添付4:セビーリャ県立美術館外観

添付5:セビーリャ県立美術館内部、第5展示室

添付6:ムリーリョ作
「無原罪の御宿り」

添付7:ムリーリョ作
「聖母子」

添付8:エル・グレコ作
「画家の息子」

スルバランの活躍した町、セビーリャの「セビーリャ県立美術館」にも 彼の作品は多く所蔵されています。14点ありました。

中でも記憶に残るのは「聖ブルーノと食卓の奇跡」。

この絵から受ける感動は実物の前でしか、真には味わって頂けないのが残念です。

というのも、この絵の寸法は268 x 318cm。

登場人物はほぼ等身大のサイズで、絵の前に立つと、 実際の場面に直面しているかのようで、右端の扉の外の景色も現実の様に感じます。

この絵はセビーリャ近くにあるカルトゥジオ会修道院に飾るために描かれ、 この修道会の創設期に起こったという奇跡の物語を表しています。

会を創設した聖ブルーノと6人の同朋達は、画面右の杖をつくグルノーブル司教、 聖フーゴの庇護を受け彼から食事を提供されていたのですが、 今回、供せられたのが肉だったので、肉食の是非について議論している内に 全員が意識を失ってしまう。

一方聖フーゴは肉を届けてから45日目に様子を見に従者を連れてやって来る。 丁度その時目覚めた聖ブルーノと仲間達は、長期間意識を失っていたとは露知らず、 聖フーゴに肉食可否の議論を説明しようとして、肉に目をやると、 肉片は一瞬にして灰になってしまった。

カルトゥジオ会士達はこの奇跡に神意を見、以後肉食を禁じたといいます。

スルバランは奇跡の劇的瞬間ではなく、静寂の中で、精神の覚醒する一瞬を捉え、 修道士達の禁欲的な精神性や無垢さを見事に表現しています。

白い僧服に身を包んで居並ぶ姿や、白くて広いテーブルクロスも絵におごそかな 雰囲気を与えていますが、皿や水差し、陶器、パン等の食卓上の静物は 清々しい光を浴びて生き生きとした質感を持ち、現実に存在するかのようです。

スルバランは卓越した静物画家でもありました。

彼の静物画にはストスコップフに通じる、まるで封印された時間を紐解くような、 重厚な存在感、永遠不変の時の流れ、悠久性、精神性を感じます。

スルバランに端を発する超写実絵画がその後のスペイン絵画の 大きな流れとなり、現在も脈々と流れています。

なお、フランシスコ・デ・スルバランの息子で29歳で夭折した フアン・デ・スルバランも素晴らしい静物画を残しています。

セビーリャ県立美術館は17世紀の修道院を改装して1835年開館。 前の広場にはムリーリョのブロンズ像が立っています。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)はセビーリャで生まれ、 5年間ほどマドリードで過した以外は主としてセビーリャで暮した画家です。

19世紀末にベラスケスが再評価されるまで、スペインばかりでなくヨーロッパでも スペイン第一の画家として扱われただけでなく、時にはラファエロを凌ぐとさえ 評されました。

幼くして両親を失ったムリーリョは12歳で地元の画家フアン・デ・カスティッリョ 門下になり、6年間修業。スルバランやリベーラの影響を色濃く受け、 写実的で明暗対比の強い画風でした。

26歳でマドリードに出、王宮コレクションにあったベラスケスやヴェネツィア、 フランドル絵画に触れ、豊かな色彩と柔らかく繊細で輝きを放つ表現を見につけ、 3年後に戻ったセビーリャで圧倒的な人気を博すようになります。

この県立美術館には彼の作品が22点もあり、世界最高のコレクションです。

特に昔の教会の広い一室には17点が展示され、 主祭壇に当る場所の中央には特別大きな「無原罪の御宿り」と、 それを囲むように7点が配置されています。

ムリーリョは「無原罪の御宿り」の最大の表現者で、生涯に30点ほど描いています。 それだけ注文が多かったということでもあります。

他にもクラナッハやヤン・ブリューゲル父、エル・グレコ、リベーラ、 フアン・デ・バルデス・レアル等に加え、地元出身の近・現代画家達の作品も 数多く展示されていました。