美術館訪問記-258 愛知県美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:愛知芸術文化センター外観

添付2:愛知芸術文化センター内部

添付3:クリムト作
「人生は戦いなり(黄金の騎士)」

添付4:マティスの「待つ」

添付7:ピエール・ボナール作
「にぎやかな風景」

添付8:中村彝作
「少女裸像」

名古屋市美術館から東北に1km足らずの場所に、1992年に完成した 愛知芸術文化センターという地上12階、地下5階のビルディングがあり、 この10階に「愛知県美術館」があります。

愛知芸術文化センターの1階入口を入ると、12階まで吹き抜けの広い空間があり、 むき出しの3基のエレベーターが3方を強化ガラスで囲まれて鎮座しています。

土地をふんだんに使えるアメリカのホテルのような造り。

公共施設として、名古屋市の中心にこれだけ贅沢なスペースを占有できるのは トヨタを始め有力企業を有する愛知県ならこそ。 バブル最盛期の着工だから、潤沢な資金と昂揚した精神の賜物でしょう。

10階の美術館は天井高6mはあるゆったりとした造りで8つの展示室があり、 入って右の3室が企画展用、左側の5室が所蔵作品展用となっています。

常設展ではクリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」が素晴らしい。

100cm x 100cmの大作でクリムト特有の金をふんだんに使った装飾的な絵です。

当時ヨーロッパに吹き荒れていたジャポニスムに強い影響を受けていた クリムトらしく、画面下部は琳派の屏風にあるような金箔を張り詰めたようで、 背景は蒔絵調、馬の手綱や鐙、剣の柄や騎士の兜は クリムトが好きで集めていたという小袖裂の模様のようにも見えます。

レオナルド・ダ・ヴィンチやベラスケスの堂々とした馬の描写を見慣れた目には、 この馬は、上半身のどっしりとした勇姿に比べ、下半身が頼りなく見えるのは しかたがない事でしょうか。

肖像画や風景画を専らにしていたクリムトが馬を描いた絵は これくらいのものでしょう。写真では判り難いかもしれませんが、 馬の毛並みは流麗な線で力強く描かれています。

馬に跨るというより、直立している騎士の形態といい、馬の下半身といい、 若干不協和音があるものの、オーストリア以外では世界的にも数少ない、 クリムトのこれだけの作品が日本にあるというのは瞠目すべき事です。

この作品は1990年に1,140万ドル、当時の為替レートで17億7,000万円、 で購入されました。トヨタ自動車から愛知県への20億円の寄附金で賄われたのです。

この美術館には中部電力寄贈のマティスの「待つ」や 東海銀行寄贈のピカソ作「青い肩かけの女」など、愛知県下の有力企業や 名古屋の著名な美術品収集家、木村定三、工芸家、藤井達吉などの個人の寄贈品、 藤田嗣治の「横臥裸婦」、モネの「セーヌ河の湾曲部 ラヴァクール、冬」、 シャガールの「オペラ座」などの寄託品、 企業や個人からの寄付金で購入された20世紀の国内外の美術品で溢れています。

夭折の画家、中村彝が新宿中村屋の創始者で中村屋サロンという芸術サロンを 開いていた相馬愛蔵・黒光夫妻の愛嬢、俊子を描いた問題作「少女裸像」も ここにありました。

当時俊子は15歳で、ミッション・スクール女子聖学院の生徒でした。

作品は約746万人が足を運んだ東京大正博覧会の美術館に出展され、 1914年という時節柄、生徒のヌードを展示された女子聖学院の院長は激怒。

博覧会に撤去を要請する騒ぎとなり、 以後、中村彝が借り住まいしていた新宿中村屋裏のアトリエを引き払う 遠因となったのでした。

(添付5:ピカソ作「青い肩かけの女」、添付6:藤田嗣治の「横臥裸婦」 は著作権上の理由により割愛しました。
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