美術館訪問記-255 ペンシルバニア美術アカデミー

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ペンシルバニア美術アカデミー正面

添付2:ペンシルバニア美術アカデミー1階から2階を見る

添付3:ペンシルバニア美術アカデミー2階階段廻り

添付4:チャールズ・ピール作
「プリンストンの戦いでのジョージ・ワシントン」
イェール大学美術館蔵

添付5:チャールズ・ピール作
「自分の博物館での自画像」1822年

添付6:ジェイムズ・ピール作
「静物#2」

添付7:レンブラント・ピール作
「ジョージ・ワシントン」

添付8:サラ・ミリアム・ピール作
「アンナ・マリア・スミスの肖像」

添付9:ウィルソン・ホーマー作
「狐狩り」

前回駐車券にまつわる話を書きながら想い出していた事がありました。

アメリカ、フィラデルフィアの中心街の美術館に行くためにギッシリと詰まった 道路の両側の駐車ゾーンの空きスペースを探しながら車を走らせていた時の事です。

路上駐車していた一台の車が出始めました。 咄嗟にその後に車の先を突っ込みます。すると出かけていた車が停まり、 プロレスラーのような身体つきの黒人の大男が出てきてこちらに向かって来ます。

何事かと窓を開けると、ティケットを差し出して来るではありませんか。

見ると駐車券。後55分残っています。

混み合うフラデルフィアのど真ん中で、わざわざ車を停めて見知らぬ他人に 時間の残った駐車券を渡すなど、なかなかできることではありません。 大声で礼を言いましたが、心がほっこりと暖かくなるのを感じました。

この時の目的の美術館が「ペンシルバニア美術アカデミー」。

1805年に設立されたアメリカで最初の美術館と美術学校という事で、 現在の建物は1876年に建てられたのですが、 流石にそれらしい伝統を感じる落ち着いた佇まい。

道を隔てた隣は近代的なビルディングでこの1階にブックショップがあります。 そこで入場料を払い、胸に付けるピンを受け取り入場します。

2階が展示室。天井がガラスのため陽光が輝き、1階から見上げると天上への階段を 歩んで行くかのようです。

2階の階段周りは大理石の小円柱とアーチで飾られ、天井は高く、 アカデミーらしい雰囲気。

ここは1805年に画家チャールズ・ピールと彫刻家のウィリアム・ラッシュが 中心となり、他の芸術家やビジネス・リーダー達と設立されています。

チャールズ・ウィルソン・ピール(1741-1827)はアメリカに定住した画家としては 草分けで、メリーランド州の生まれ。

13歳で鞍造り職人の徒弟となりますが、やがて画才に目覚め、 第211回で触れたジョン・シングルトン・コプリーの下で絵を学び、 友人らの援助で26歳の時にイギリスに渡り、 ベンジャミン・ウエストの教えを受けながら3年間修業に励みます。

帰国後はアメリカ独立運動に参加してフィラデルフィアに赴き、 軍人となり大尉に昇進。幾つかの戦闘に参加する傍ら士官らの肖像画を描いている。

ジョージ・ワシントンはチャールズの為に7回モデルになっています。

その後は画業に専念していますが、博物学にも興味を持ち、1786年には フィラデルフィアにアメリカ最初の博物館を開館しています。

チャールズは16人の子沢山でしたが、息子のラファエル、レンブラント、 ルーベンスは画家になり、チャールズが手を執って教えた弟のジェイムズも 優れた画家になっています。

ここペンシルバニア美術アカデミーにはピール一族の絵画も多く展示されています。

私が行った日はチャールズ12点、ジェイムズ4点、レンブラント7点、 ラファエル2点、ルーベンス1点が展示されていました。

ジェイムズの娘のサラ・ミリアム・ピールの作品も1点ありました。 彼女はアメリカで最初に成功した女流画家と言われています。

他にもアメリカ人画家が一通り揃っています。

外国人画家もラムゼイ、モンドリアン、パスキン、リベラ、レジェ等が展示中。

大都会フィラデルフィアの街中でほっと一息つける美術館です。