美術館訪問記-256 ベルナール・ビュフェ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付3:ベルナール・ビュフェ美術館

添付4:ベルナール・ビュフェ美術館内部

添付9:ベルナール・ビュフェとアナベル

これまでのところ、フランス出身の画家の個人美術館は当然ながら 全てフランスにあったのですが、フランス生まれのフランス人画家でありながら、 日本に個人美術館のある画家がいます。

それがベルナール・ビュフェ。

1928年パリの鏡工場経営者の次男として生まれたビュフェは、 芸術とは縁遠い環境の育ちながら、幼少時から画才を発揮し、 15歳で国立美術学校に入学。18歳で辞め、画家として生活し始めます。

翌年には作品がパリ国立近代美術館買い上げとなり、20歳で新人の登竜門、 批評家賞を受賞。翌年にはパリとブリュッセルで個展を開催と 早くから画才を認められて、フランス美術界の具象絵画分野の寵児となります。

彼の絵には初期の頃から鋭角的なフォルムと太く黒い描線、モノトーンな色調で、 第二次世界大戦や戦後の時代に青春時代を過ごさざるを得なかった 若者の誰もが共感できる、悲惨さと荒廃に傷ついた精神が描出されていました。

ビュフェの絵に心震える思いをしたのがスルガ銀行頭取の3代目だった岡野喜一郎。

従軍から復員して上野の東京都美術館で観た彼の絵の錆びた沈黙と詩情に、 荒廃したフランスの戦後社会に対する告発と挑戦を感じ、 敗戦による虚無感と無気力さのなかに、一筋の光芒を見出したと書いています。

その後はビュフェの収集にのめり込み、 油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2000点を超えるという 世界最大のコレクションを築き上げるのです。

そのコレクションを収めるために建てたのが「ベルナール・ビュフェ美術館」。

1973年の開館で、これまで訪問記を書いてきたピカソ、マティス、シャガール等に 続き、画家の生存中に個人美術館を持てた希少な芸術家の一人です。

富士山麓の見晴らしの良い丘陵地にある静岡県長泉町クレマチスの丘に 井上靖文学館と隣接して建つユニークな美術館。

館内を中央のスロープで降りて行く設計は他に類を見ません。

ここでは年代を追ってビュフェの絵画と版画の変遷を堪能できます。

ビュフェの生涯のミューズとなり、30歳で結婚した女優のアナベルを モデルとした絵や、道化師、風景画の印象的なシリーズ作品もあります。

ビュフェは言う。 「芸術の目的? 目的なんてない! それは例えば花のように実用にはならないが絶対に必要なものです」

彼にとっては絵を描く事が生きる事の全てであり、 晩年パーキンソン病を患って、絵筆を持てなくなると、 ビニール袋を被り首にテープで密封して自殺。

1999年の事でした。享年71。

(ベルナール・ビュフェ作 添付1:「十字架降下」、添付2:「アトリエ」、添付5:「バリケード」、添付6:「死No16」、添付7:「蜜蜂」、添付8:「静物;魚」は著作権上の理由により割愛しました。
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