前回、縄文土器の再評価と書きながら、なぜかイタリア、「ポンペイの壁画」を 思い浮かべていました。
日本の古代とイタリアの古代、彼我の余りの違いに思いを馳せたのです。
ポンペイにある秘儀荘(Villa dei Misteri)の大広間の壁を彩る、 「ポンペイの赤」を背景に浮き立つ人物像は目に焼きついています。
秘儀荘とは神秘・秘密の別荘という意味で、 別荘内に「ディオニュソスの秘儀」を主題とした壁画が、 高さ3m、長さ17mに亘って描かれていることからこう呼ばれています。
ディオニュソス(ローマ神話ではバッカスまたはバックス)は、 ギリシャ神話に登場する酒の神ですが、 古代のローマでは、ディオニュソスが広く人々の信仰の対象とされていました。
秘儀荘が建てられたのが紀元前2世紀の頃で、この頃、ローマ帝国では 信仰の対象として、国教以外のギリシャから伝来した秘教「ディオニュソス教」は、 ローマ帝国内の秩序を乱すものとして禁じられていたようです。
この壁画が描かれたのは紀元前1世紀の中頃と考えられ、 ポンペイが位置するカンパーニア地方は前3世紀にローマ帝国に 征服されていますが、その後もギリシャ文化が根強く残っていたようです。
ポンペイは、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により火山灰に覆われ、 時を止めた町です。
永年火山灰の下に埋もれていたためか、殆どの家屋・施設が3~4mの高さで、 その上は削り取られたように無くなっています。
火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられる シリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収する性質があります。
この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が 最小限に食い止められ、ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を 今に伝えることになったのです。
主要道路の石畳はとても平面とは言えず、相当な凸凹があり、 この上を走る馬車の安定度・乗り心地は現在では考えられないほど 悪いものだったに違いありません。
それにしても幾つかの邸宅の住居や庭の造り、パン屋・洗濯屋・飲み屋・医院・ 浴場・大ホテル等各施設の機能性、考古学博物館の所蔵品に見られる 洗練度の高さは驚異的です。
舗装道路、水道、下水、劇場、音楽堂、体育訓練場、闘技場、公会堂、 神殿等の公用設備を設置し得たローマ人の社会的構築力と経済力。 個々の邸宅に見られる富と美的感覚。
これらを目の前にして、2000年前の日本の状況を考えた時に、余りの差に 慄然とすると同時に、何がこの隔たりを生んだのか考えさせられたことでした。