美術館訪問記-248 北海道立三岸好太郎美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付2:北海道立三岸好太郎美術館

添付3:北海道知事公館

添付4:三岸好太郎作
「兄及ビ彼ノ長女」 1924年

添付5:三岸好太郎作
「赤い肩掛けの婦人像」 1924年

添付6:三岸好太郎作
「黄服少女」 1930年 

添付7:三岸好太郎作「花ト蝶」 1932年

添付8:三岸好太郎作「のんびり貝」 1934年

第107回の北海道立近代美術館の隣に知事公館があると書きましたが、 公館のある場所は240m四方の公園になっており、その北の端に 「北海道立三岸好太郎美術館」があります。

三岸好太郎も猪熊や小磯と同じ1903年に、札幌市で生まれています。 生年は同じでもその他は大きく異なります。

・猪熊と小磯は東京美術学校で美術を学んでいるが三岸は独学

・二人は時の最高権威の帝展で特選になっているが三岸は春陽会に出展後  独立美術協会の創立に加わり、最年少の会員となっている

・二人は洋行しているが三岸は中国へ旅したのみ

・二人は同じ画風に留まっていた期間が長いが三岸は頻繁に画風を変えている  アンリ・ルソー風の素朴な画風から出発し、岸田劉生の東洋趣味への傾倒を経て、 エキゾティックでロマンティシズム溢れる画風に転じた後フォーヴィスムへ 前衛主義に急速に接近したかと思うと抽象形態を試し、シュルレアリスムに移行

・二人は85歳以上長生きしているが三岸は31歳で夭折

・二人は愛妻家であり、妻に先立たれているが三岸は21歳で結婚後も 女性遍歴を繰り返し、妻で画家の三岸節子は94歳まで生きた

三岸節子は1950年の読売新聞主催・現代美術自選代表作15人展に女流画家として 唯一人招待を受けるほどの一流画家になっています。

ちなみに他の14人の画家は猪熊弦一郎、小磯良平、岡本太郎、安井曾太郎、林武、 岡鹿之助、福沢一郎、児島善三郎、野口弥太郎、中山巍、梅原龍三郎、木下孝則、 東郷青児、岡田謙三。

三岸節子は3人の子供を育てながら奮闘したのですが、絵が売れるようになると 散逸していた好太郎の作品を買い戻し、220点を北海道に寄贈します。

これらを展示するために設立されたのが北海道立美術館三岸好太郎記念室。 1967年の開館で個人名を冠した美術館としては日本最初のものでした。

三岸好太郎は急死することになる1934年に自分の考えを盛り込んだアトリエを 新築しており、1983年、そのアトリエのイメージを設計の一部にとりいれた新館を 現在地に建設して移転。北海道立三岸好太郎美術館として新たな開館をしています。

北海道立近代美術館から緑溢れる風情ある知事公館の庭を横切って、 庭にある池と小川の流れを見ながら、この美術館に行きました。

内部は新しいものに次々とチャレンジして行った三岸好太郎のアイデアらしく モダンで、階段の途中から制作中の作品を見下ろせるように吹き抜けになっており、 2階建ての5展示室に並んだ作品を鑑賞して、 彼の短くも変化に富んだ軌跡を辿る事ができます。

開館後の寄贈や購入で所蔵数は現在251作になっているとか。

三岸好太郎の作品を貫く文学的で詩的なロマンティシズムは、 夭折した芸術家の挽歌を奏でているようで、寂しげに訴えて来るのです。

(添付1:三岸節子作「エジプトの鷹」 1967年 東京国立近代美術館蔵は著作権上の理由により割愛しました。
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