美術館訪問記-246 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館正面

添付2:猪熊弦一郎作
「創造の広場」

添付3:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館内部

添付4:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館内部

添付5:猪熊弦一郎作
上野駅の壁画「自由」1951年

添付6:猪熊弦一郎作
三越の包装紙「華ひらく」1950年 

前回の西山美術館は純粋に芸術鑑賞の喜びに浸るには、多少の雑音がありますが、 こういう所はむしろ例外で、日本には無心に美に触れられる 個人のための美術館が沢山あります。

今回は建物そのものも鑑賞に耐え得る、香川県丸亀市にある 「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」を採り上げましょう。

美術館の設計は後にニューヨーク近代美術館の新館を 世界中からのコンペに打ち勝って手掛けた谷口吉生。

正統派モダニズム建築家の谷口を猪熊弦一郎が口説いて依頼したとかで、 画家と建築家の理念が細部に至るまで具現化した建築となっています。

世界的にも珍しい鉄道駅前美術館で、JR丸亀駅前に建っていて 前庭と駅前広場は一体化しています。1991年の開館。

駅前広場と施設を結びつけるファサードには、猪熊の巨大な壁画「創造の広場」や オブジェの設置されたゲートプラザがあります。

幾つかの建築対象の賞を受賞し、公共建築百選にも選ばれた秀作です。

中に入ると3層構造の館内は自然光をふんだんに取り込み、 軽やかで開放的な空間が広がっています。

延床面積8000平方メートルの大型施設で、1階が売店、2階が常設展展示室で 天井高7mもある3階は企画展用に使用されていました。

猪熊弦一郎は1902年、香川県で生まれ丸亀市で育っています。 幼少の頃から絵が上手で小学校の図画の時間は教師の代わりをしていたとか。

20歳で東京美術学校(今の東京芸術大学)に入り、藤島武二の下で学びます。 黒田清輝の訓話「芸術というものは先生が手を取って川を渡してくれはしない。 自分で橋を架け、渡って行かねばならない」に感銘したと語っています。

1938年、卒業後十年かけて貯めた資金で妻とパリに渡り、マティスに師事します。 マティスから「お前の絵はうますぎる」と言われ、自分独自の個性が出せてない と悟り、愕然として自分の画風を模索する日々が続きました。

迫り来る戦禍を逃れ藤田嗣治と共同で疎開生活を送っていましたが 1940年最後の避難船で帰国。

帰国後は上野駅の壁画「自由」、慶應義塾大学大学ホールの壁画「デモクラシー」、 名古屋丸栄ホテルホール壁画「愛の誕生」などを次々と描き、 白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインも行ない、 当時としては破格の報酬でも話題となったのでした。

フランスから帰国後15年経って、再びパリへ行くつもりで途中ニューヨークへ 立ち寄ります。ここで彼はニューヨークの持つ「開放された力」(猪熊の言葉)に 圧倒され、一から芸術をやり直す気になったといいます。

時に53歳。画壇での確立した地位を投げ打って新たな挑戦を始めたのです。

マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージ、ジャスパー・ジョーンズなど さまざまな著名人と交友関係を深め、 それまでの具象画から一変して抽象画に没頭するのです。

そこで目にした高層ビルや道路といった身近なカタチに刺激を受け、そのカタチを アートに変えるという世界でも類のない“猪熊流”の芸術を生み出したのです。

脳血栓を患って帰国した時には渡米後20年が経っていました。

一見ひ弱そうに見える猪熊ですが、たくましい日本人もいたものです。

保持していた2万点もの作品を丸亀市に寄贈した翌年の1993年死亡。 享年90。明治、大正、昭和、平成を絵筆1本で生き抜いた男の大往生でした。

私が訪れた日は猪熊弦一郎の具象作品ばかりが展示されていましたが、 パリで交流のあったピカソの青の時代と通じる作品もあり、 猪熊の鋭い感受性の発露を感じ楽しめました。

企画展は石内都という女流の「絹の夢」と題した絹織物主体の写真展。 一隅で繭から絹織物が出来るまでを前衛的手法の映画で見せていたのが面白い。

2階にあるカフェでケーキと紅茶にしました。ケーキは企画展に合せたオリジナル。 繭のイメージの真っ白な太い綿菓子の衣の下に餡があるものと、 黄色の繭状のモンブランを白い皿に並べて、赤い数滴のジャムを間に垂らしたもの。

これが鮮烈に美しく、また美味で、久しぶりにケーキに感動しました。 他に客がいないのが勿体無い。

後日生前の猪熊弦一郎がテレビで語っていました。 「美術館は心の病院です。 仕事で疲れた方は美術館でいろんな名作に触れる事で自分の心が洗い清められて、 疲れが取れ、新たな気持ちで仕事に取り組める。そういう場所なんですね」

(添付7:猪熊弦一郎作「コンポジションNo.2」1957年、添付8:猪熊弦一郎作 「驚く可き風景」1969年、添付9:猪熊弦一郎作「青衣」1930年、添付10:猪熊弦一郎作「ヴァイオリンを持てる女」1940年は著作権上の理由により割愛しました。
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