美術館訪問記-231  ボルティモア美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カタルーニャ建築協会の壁に描かれたピカソの壁画

添付2:ボルティモア美術館正面

添付3:ボルティモア美術館入口

添付4:コーン姉妹の居室を再現した部屋

添付5:マティス作
「犬のいる室内」

添付6:マティス作
「ピンクの裸婦」

添付7:マティス作
「ピンクの裸婦」習作第1作

添付8:セザンヌ作
「ビベミュから見たサント=ヴィクトワール山」

添付10:ローランサン作
「芸術家の集い」1908年

ロザリオ礼拝堂に描かれたマティスの聖母子像を観ながら スペイン、バルセロナのノバ広場にある、カタルーニャ建築協会の壁に描かれた ピカソの絵を想い出していました。

ピカソがこの壁画を描いたのは1962年、彼が81歳の時です。 マティスがロザリオ礼拝堂を完成させたのも81歳の時。

天才画家の行きつく境地は共通するものがあるのでしょうか。

マティスはピカソの11歳年上ですが、二人は生涯を通じての友人であり、 お互いを認め合う、よきライバルでもありました。

近代絵画を変革した二人の巨匠は、女性と静物を多く描いた事では似ていましたが、 マティスが対象の形態を尊重したのに対し、 ピカソは自己のイマジネーションの方を優先しました。

二人が知り合ったのはガートルード・スタインのパリのサロンでした。

ガートルードはアメリカ生まれの作家で詩人。 裕福だった父の資産を受け継ぎ、美術批評家の兄レオ・スタインと共に 当時世界の芸術の都だったパリに居を移し、1903年から12年間暮しました。

二人は現代美術の初期作品の収集を始め、彼等のコレクションで溢れる住まいは、 新進画家達のサロンとなり、多くの芸術家が集まって芸術論を戦わせたのです。

フォーヴィスムが世間に知られたのも、二人が開催した 1905年のパリ・オータムン・サロンでの事でした。

実はスタイン兄妹のサロンには手本がありました。 ガートルードがアメリカ、ボルティモアに住んでいた時の友人、 クラリベル・コーンとエッタ・コーン姉妹のサロンです。

コーン姉妹は潤沢な資産を継承した美術収集家で、 ボルティモアの自宅で毎週土曜日に芸術家達を招いたサロンを設けていました。

姉妹は頻繁に世界を旅して見聞を広めると同時に美術品の収集をしていたのですが、 スタイン兄妹のパリのサロンでマティスとピカソを知り、 彼等の作品を大量に購入します。 二人ともまだ世に知られる前で、安く買えたのです。

姉妹はマティスのパトロンとなり、 彼女達の招きでマティスはボルティモアの姉妹の邸宅に滞在したりもしています。

彼女達の集めた500点余りのマティス・コレクションは世界一。

姉妹がこれらを含めた3000点にも及ぶコレクションを寄贈した先が、 「ボルティモア美術館」。

ボルティモアはワシントンD.C.に隣接するメリーランド州の最大の都市で 人口62万人余り。ワシントンから北北東60km程の所にあります。

ボルティモア美術館は1914年、僅か1作の所蔵品で創設されたのですが、 1950年、コーン姉妹のコレクションの流入で一挙に世界でも注目される存在となり、 その後も相次ぐ寄贈で、今では9万点余りの所蔵品を誇っています。

1929年完成したローマ神殿風の堂々たる正門は飾りで、 現在の入口は1950年代に完成した右側の近代的なビルにあります。

1階にはアジア・アフリカ美術等が展示されており、2階がメインの展示場。

1957年に完成したコーン翼に集められたコーン姉妹のコレクションが圧巻です。

中でもマティスの軽やかな色彩とデッサンの世界は堪能できました。

マティスは観る人が癒されるような絵を描こうとして、 いかにも単純に即興的に描いているように見えますが、 最終作に辿り着くまでに、信じられないくらいの綿密な準備と 試行錯誤を繰り返しています。

良い例がここにある「ピンクの裸婦」です。

皆さん、マティスはこの1作を仕上げるために何時間使ったと思いますか?

幸いにしてこの1作は、作品の着手から完成までが22枚の写真に撮られています。 それらをマティスは購入してくれたコーン姉妹に贈呈したので、 この美術館で全部を観る事ができます。

それらによると、マティスはこの1作に1935年5月3日に着手して、 完成するのは同年10月3日。何と5カ月に亘る苦心の結果なのです。

まず第1作は長椅子に、右を頭にして裸婦が長々と横たわっています。 左足を右側に傾け、背景の壁や椅子をそのまま描いています。

途中の20作全てをお見せできないのは残念ですが、 手足や顔、背景、長椅子は次々と変化して行き、 手足は太くなり、だんだんと右肘と頭部が垂直に立ってきます。

背景にあった壁の合せ目の隅はなくなり、全体が平面になり、 初め無地だった長椅子には碁盤の目のような模様がついてきます。

まさにモローが言ったようにマティスは絵画を単純化する事に腐心しているのです。

この美術館にはマティス以外にもボッティッチェッリ、ルイーニ、ラファエロ、 ティツィアーノ、ダイク、レンブラント、シャルダン、ゴヤ、コロー、ドラクロワ、 ピサロ、セザンヌ、ルドン、モネ、ルノワール、ルソー、カサット、ゴーギャン、 ゴッホ、クリムト、ボナール、ヴュイヤール、ピカソ等沢山の名画がありますが、 今迄採り上げた事のないマリー・ローランサンの絵がチョット面白い。

「芸術家の集い」というこの絵は、 ガートルード・スタインのサロンで会った仲間を描いています。

画面に向かって左手がピカソとその愛犬フリッカ、 背後に立っているのがローランサン自身で、 中心にいるのはローランサンの恋人だった詩人のギヨーム・アポリネール、 右端で品を作ってコケティッシュな笑みを浮かべている女性は、 ピカソの愛人だったフェルナンド・オリヴィエです。

ここにはマティスやピカソ同様、対象を写実的に描くのではなく、 ローランサンの心象風景がそのまま描かれているように見えます。

(添付9:ピカソ作「母と子」 は著作権上の理由により割愛しました。
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