美術館訪問記-230 ロザリオ礼拝堂

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:横から見たロザリオ礼拝堂、左側に入口がある

添付2:ロザリオ礼拝堂正面

添付3:ロザリオ礼拝堂内部

添付4:ロザリオ礼拝堂内部

添付5:ロザリオ礼拝堂内部

添付6:ロザリオ礼拝堂内部「聖母子像」

添付7:マティスとモニカ

添付8:ニースの部屋でロザリオ礼拝堂用の聖ドミニクを描くマティス

フランス、ニースからだと道なりに約20km、第67回のルノワール美術館のある カーニュ・シュル・メールからだと北に8km程の場所にヴァンスという 地中海を見下ろす町があります。

ここにマティス自身が生涯の最高傑作と言う「ロザリオ礼拝堂」が建っています。

第二次世界大戦の最中の1941年、 71歳のマティスは十二指腸癌の手術を受け、死線をさまよっていました。

看護婦として雇ったモニカの献身的な看病もあって、何とか快復した頃には ニースにも空襲が始まり、山間の町ヴァンスに移り住んだマティスは 死ぬまで続く車椅子の生活ながら、 戦争や苦悩を感じさせない、平和で穏やかな絵を描き続けました。

戦争が終わり、モニカは修道女となって出て行きます。

1947年、ヴァンスのアトリエで制作中のマティスのもとに 向かいにある修道院から使者がやって来ます。 戦禍で焼け落ちた礼拝堂の再建のためのステンドグラスへの意見を求めて。

この修道女こそ、あのモニカでした。

この再会に神の啓示を感じたマティスは礼拝堂全ての設計を無償で引き受けます。

マティスはこれまでの集大成として、文字通り死力を尽し4年の歳月をかけて このドミニカン修道院のロザリオ礼拝堂を完成させるのです。

マティスは礼拝堂の設計にあたって、空、植物、光という3つのテーマを選び、 それぞれを示す色として青、緑、黄色を使いました。

マティスは単純な色ほど人間の感情を揺り動かすと考えたのでした。 作品の仕上がりは、色彩の光が当たる面と、 白と黒の素画による壁画とのバランスをどう取るかにかかっていました

しかし、それではマティスの好きな赤が使えないという不満が残ります。 ところが、いざ作ってみると、光が床に反射して青と緑が混ざるところができ、 そこに赤紫色が生まれました。

マティスはこの偶然の発見に大喜びしたといいます。

マティスは礼拝堂自体の設計に加え、石造りの祭壇、燭台、十字架像、書見台、 修道女席、さらに聖水盤まで、この礼拝堂のすべてのデザインを手掛けました。

ここはまさにマティスの理想の空間でした。

山間の道路脇にひっそりと佇む小さな礼拝堂。 それと知らねば、礼拝堂と気が付くことなく通り過ぎてしまいそうです。

先端に金の炎と三日月をあしらった鉄製十字架が屋根の上に乗っていますが、 これも知らなければ、十字架とは見えません。

一歩中に入ると、 芸術で愛を表現しようとした画家が生み出した救いの空間が広がっていました。

切り紙絵をモティーフにしたステンドグラスや、 白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、 20世紀キリスト教美術の代表作と目されています。