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美術館訪問記-23 ウンターリンデン美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ウンターリンデン美術館入口

添付2:グリューネヴァルト作
「イーゼンハイムの祭壇画」第一面

添付3:グリューネヴァルト作
「イーゼンハイムの祭壇画」第二面と第一面の裏図

添付4:グリューネヴァルト作
「イーゼンハイムの祭壇画」最終面

添付5:グリューネヴァルト作
「聖アントニウスの誘惑」部分図

添付7:ピエール・ボナール作
「ノルマンディー風景」

添付8:コルマール風景

コルマールとくれば、「ウンターリンデン美術館」に触れない訳にはいきません。

西洋宗教絵画の最高傑作の一つと称えられる マティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」があるからです。

もとはコルマールの南方20kmの所にあるイーゼンハイムにある 聖アントニウス会修道院付属施療院の礼拝堂にあった、 この祭壇画は3層に分かれています。

全ての扉が閉じられた状態では中央に磔刑図、左側に聖セバスティアヌス、 右側に聖アントニウス、下部にキリストの埋葬があります。

この磔刑図は一度見たら忘れられません。

キリストは死斑を浮かべ、血は滴り、苦悶の表情で死後硬直しています。 徹底したリアリズム。

これほど凄惨な磔刑図は見た事がありません。 これは当時、聖アントニウス病といわれたペスト、ハンセン病と並ぶ業病に苦しむ 施療院の患者達に、苦痛を分かつキリストの姿を見せ、癒しを与えるためでした。

キリストの右手に洗礼者ヨハネが立っていますが、 磔刑図にヨハネが描かれるのは珍しい。 史実としてはヨハネはキリストより先に斬首されているのです。 グリューネヴァルトがそれを知らない訳ではなく、 この悲惨な場面のただ一人の冷静な観察者として、彼の口元には 「彼は生き、わたしは滅びなければならない」という聖書の文言が書かれています。 キリストの復活を示唆して、見る者に希望を与えているのです。

平日はこの第一面が見せられ、日曜日になると扉が開けられて、 第二面と、開いた第一面の裏側が両翼に現れました。 第二面は左側に天使の演奏、右側にキリスト生誕。 裏側は左に受胎告知、右にキリストの復活。 これらはいずれも第一面とは打って変わって明るく、救済に満ちています。 患者に苦しみの後に来る救いを実感させ勇気づける意図が明白に窺えます。

第二面の扉を開くと、中央に聖アントニウス、左に聖アウグスティヌス、 右に聖ヒエロスニムスの金属製彫像が現われ、 下部もキリストと12使徒の金属彫刻に替わります。 第二面の扉の裏側は左に聖アントニウスの隠修士聖パウルス訪問、 右に聖アントニウスの誘惑図となっています。 この最終面は聖アントニウスの日のみ開示されたといいます。

「聖アントニウスの誘惑」に出てくる怪物達は 前回のマルティン・ショーンガウアーの悪魔達同様、独創的で面白い。

彫像が先に造られ、グリューネヴァルトの祭壇画は修道院の依頼により、 1511年から1515年の間に描かれました。

グリューネヴァルト(1470-1528)は本名マティアス・ゴートハルト・ナイトハルト。 この画家は、ドイツで主流だった版画作品を残さなかった事もあり、 弟子もいなかったため、死後急速に忘れ去られ、17世紀の著述家が誤って グリューネヴァルトと名付けたのがそのまま定着したという珍しい例です。 本名が明確になったのは20世紀に入ってからの事。

ドイツを代表するルネサンスの画家デューラーと同時代を生きながら、 ルネサンス様式ではなく、本作のようにゴシック様式に固執しているのも珍しい。

この祭壇画は65m x 12mの礼拝堂の中に置かれています。 見易いように扉はバラバラにされ、第一面から最終面まで全てが観られるように 展示されています。 この礼拝堂の周囲の壁にはフランドルやドイツ人画家の絵画が並んでいます。 マルティン・ショーンガウアー作の24枚のキリスト受難の版画や ルーカス・クラナッハの絵も2点ありました。

ウンターリンデン美術館は元々1232年に2人の未亡人が設立した ドミニカン修道院の建物で、 近くの山地から切り出された赤色砂岩で造られた建物も風情があり、 美しい2重アーケードの回廊が付いています。 フランス革命時に棄却された、周囲の寺院にあった宗教彫刻、絵画、民芸品、 1960年代に加えられた近代美術作品等を所蔵しています。

フランスではルーヴルに次ぐ入場者数を誇るとかで、実際混み合っていました。 しかし地下の近代美術コーナーには全く人影がありません。 来客者の目当ては「イーゼンハイムの祭壇画」だけのようです。

ここには後半のステンドグラス張りの輪郭線の強い作品とは懸け離れて、 師匠のモローの影響が窺えるルオーの大作、「博士達の中のキリスト」や、 ピエール・ボナールの軽やかな明るさが彼らしい佳作「ノルマンディー風景」、 モネ、ピカソ、マックス・エルンスト等もあり、十分楽しめました。


(* 添付6:ジョルジュ・ルオー作「博士達の中のキリスト」 は著作権上の理由により割愛しました。管理人)





注:

聖セバスティアヌス:宗教絵画に聖ヒエロニムスと並んで最も頻繁に登場する聖人であり、殉教者。歴史上の人物で288年に死んだとされる。聖セバスチャン、聖セバスティアンともいう。
ローマ皇帝ディオクレティアヌスの親衛隊長ながら、当時禁止されていたキリスト教に帰依したとして帝の命で矢でハリネズミになるまで撃たれる。奇跡的に命は取り留めるが、後に皇帝に見つかり、死ぬまで殴打される。常に矢で撃たれた状態か矢を持った姿で描かれる。


聖アウグスティヌス:英国教会の創立者、聖人。歴史上の人物。604年死亡。教皇グレゴリウス1世の命により約40人の修道士とともに596年にイギリスへ布教のために派遣され、598年カンタベリー大司教に叙階される。 


聖パウルス:最初の隠修士とされる人物。聖人。歴史上の人物。230-342。世俗を離れ、荒野に住み、痛悔と祈りの生活を送る。彼を荒野に尋ねた聖アントニウスと共に描かれる事が多い。

美術館訪問記 No.24 はこちら

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