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美術館訪問記-24 ギュスターヴ・モロー美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ギュスターヴ・モロー美術館正面

添付2:ギュスターヴ・モロー美術館3階内部

添付3:ギュスターヴ・モロー美術館2階
中央最下段2葉がデュルの写真

添付4:ギュスターヴ・モロー美術館4階の壁面

添付5:ギュスターヴ・モロー作
「一角獣」

添付6:ギュスターヴ・モロー作
「自画像」
1850年

添付7:ギュスターヴ・モロー作
「出現」

ルオーやマティスを指導した事でも知られるモローと言えば、芸術の都パリにある「ギュスターヴ・モロー美術館」です。
何しろここでは私が世界中の美術館で観てきた全てのモロー作品を合わせた以上の、 モローの作品に一度にお目にかかれるのです。

モローは1826年パリで生まれ、独身のまま1898年に死亡し、 両親がモローのために1852年に買ってくれた この屋敷と所蔵する彼の作品を展示する美術館として、 作品の展示位置から調度品にいたるまで、画家生前のままに留め置くように、 との遺言に従う形で1903年開館しました。

これは世界初の個人美術館でもありました。 初代館長は愛弟子だったルオーが務めています。 モローは死後自宅を美術館にすべく1895年、自らの設計で拡張改装しています。

モローは特異な画家です。 パリ都心の1軒屋を息子に買い与える程の、裕福な両親の元に生まれた彼は、 一生、生活の為に絵を売る必要はなく、好事家の求めにも殆ど応じず、 自分の好きな絵を好きなだけ描き続けられたのですから。

そのためもあってか、彼の完成作は限られ、 この美術館に残る絵も大多数が未完成です。

モローは晩年、死去した友人の後を継ぐ事がその友人への義務と考え 自分が学んだ国立美術学校の教授となり、 マティスやルオーを育てたのです。

モロー美術館はモンマルトルに近い、狭い急坂の途中にある4階建て。 広い1部屋だけの3階と、螺旋階段で上る2部屋ある4階が展示場となっており、 モローの居室だった2階にも、所狭しと版画等様々な美術品が飾られています。 2階一番奥の居間には秘められた愛人だった、 アレクサンドリーヌ・デュルの写真が2葉ありました。

モローは遺言の中で私事の公表を禁じています。 当時の写実主義や印象派の画家達が野外で自然の光の下で制作していたのに比べ、 モローは一人この館に閉じこもり滅多に人前には姿を見せませんでした。 デュルについても詳しい事は何も伝わっていません。

モローは「芸術家は作品がすべてであり、私生活などは作品の背後で消えてしまう のが望ましい」と、いかにも芸術至上主義者らしい言葉を残しています。

2005年に改修され、随分綺麗に片付けられてしまいましたが、 それ以前には3,4階の至る所にイーゼルが置かれ、どれにも絵がかかっていました。 デッサンが5000枚も入っていたキャビネットがあった場所も 今は壁になっています。収蔵庫には7500枚のデッサンが収納されているとか。 これだけの量の素描が残っている画家は他にありません。 全ての作品に関する全生涯のデッサンが 一つの場所で見られるのは世界でもここだけです。

前も今も3,4階の壁には高い天井まで全く隙間なく油彩画がかけられており、 その数、総数178点。 殆どがモロー特有の神話や聖書に題材を採った人物画と風景画です。 繊細で装飾的、神秘的で、中性的な官能美の漂う彼の作品に取り囲まれる 幸せな空間がそこにあります。

美術館訪問記 No.25 はこちら

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