美術館訪問記-229 ル・カトー・カンブレジ、マティス美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ル・カトー・カンブレジ、マティス美術館正面

添付2:ル・カトー・カンブレジ、マティス美術館内部とマティスの彫刻

添付3:マティス作
「静物」1896年

添付4:マティス作
「革の帽子を被ったマルグリット(マティスの娘)」1914年

添付5:マティス作
「自画像」1918年

添付6:マティス作
「ジャズ」1947年

添付7:マティス作
「青い服の女」1951年

添付8:美術館内に展示されていた晩年のマティス写真

実はフランスにはもう一つマティス美術館があります。 しかし、この美術館を知っている方は少ないでしょう。

それはマティスの生まれ故郷にある「ル・カトー・カンブレジ、マティス美術館」。

80歳を超したマティスは、ル・カトー・カンブレジに、 生存中唯一のマティス美術館を生まれ故郷に造るべく、75作品を寄贈します。

1952年美術館開館に当り、その生涯を終える2年前、 闘病中で移動が困難だったマティスはメッセージを送り、 「この世のみずみずしい美しさの一部を明らかにすること」 に人生を捧げた喜びを表しました。

その後加わった遺贈品や国からの委託品、美術館の購入品等を展示すべく、 1980年、町の歴史的な建造物、フェネロン宮殿が新たな美術館に選ばれました。

私が妻とこの美術館へ行ったのは2007年の9月22日、土曜日でしたが、 町は混雑していて、方々で車両通行禁止や一方通行の臨時標識が出ていました。

それらを何とかくぐり抜けて美術館に辿り着くと、 何という事か、大きな鉄門が閉まっています。

行きかう人に聞くと、今日は年に一度のお祭りで美術館は臨時休館ですよとの事。 前日チェックしたインターネットのホームページには 「美術館は火曜日以外、年中無休」と明記されていたのですが。

フランス人は意外とルーズな所があり、規則を破るのに抵抗は少ないようです。

美術館巡りの終わり頃、買い溜めた美術館本を送るため各国の郵便局に寄ります。 フランスでは、最高重量7kgと明記された定形国際郵便小包の箱に本を詰め、 一番重い小包を窓口の担当者の前に置かれた重量計で量ってみると15kg。 やれやれ、包み直しかと思ったら、平気で受け付けてくれたのには驚きました。

次にフランスに行った時、全く別の郵便局だったのですが、量ると、9.3kg。 包装し直すように言われ、持参の前回の送り状を見せると、ウィンクしてパス。

こういう融通性はありがたいのですが、 遠路はるばる来た美術館が予告なしに休館というのは困りました。

急遽、明日の予定と差し替え、翌日出直さざるを得ません。

翌朝、開館前に到着した町は、昨日の喧騒が嘘のように静まりかえっていました。

美術館はコの字型の2階建て。建物の壁のレンガ色と白色、 庭の木々と空の青さがお互いを引き立て合って美しい。

この日展示されていたのは油彩画26点、彫刻19点、デッサン47点、切り絵13点、 マティスの3人の孫を描いた天井画が1点、合計106点。

この他に自筆の手紙や家族友人との写真、制作中の写真等も展示されており、 家庭的な雰囲気で、まさにマティスのための美術館の感を深くしました。

自然主義的な暗い色彩の作品から、印象派の影響を受けた後、フォーヴと呼ばれ、 南の眩い光を知り、あらゆる色彩を魔術師のように操るに至るまでの長い道のりを、 芸術家の原点である故郷の地で見出せる喜びは、格別のものがあります。

2階には、開館後に訪れマティスの作品群に感動して1956年自分も寄贈したという 同郷出身の画家、オーギュスト・エルバンの油彩画25点も展示されていました。

1階の企画展コーナーでは地元の画家の作品が並んでいました。

日曜日とあってその画家を囲んだパーティーでもあるのか、 ワイングラスとビュッフェが並んだ一画が設えられ、 美術館を出るお昼前には、着飾った老若男女が続々と詰めかけて来ました。