美術館訪問記-226 ワジェンキ宮殿

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ワジェンキ公園入口にある「ショパン像」

添付2:ワジェンキ宮殿外観

添付3:ワジェンキ宮殿内部

添付4:レンブラント作
「ポーランド騎兵」
フリック・コレクション蔵

添付5:ヨルダーンス作
「シーレーノスとバッカス」

添付6:ヨルダーンス作
「画家とその家族」1622年 プラド美術館蔵
左側で座っているのが妻のカタリナと娘のエリザベト、中央は女中

ワルシャワには公園がいくつもありますが、最大のものはワジェンキ公園。 広さ74ヘクタール(約22万4千坪)で、市内中心部のやや東側にあり、 大統領府と隣接しています。

この公園では夏の間、毎週日曜日にポーランドの産んだ「ピアノの詩人」、 フレデリック・ショパンの演奏会が開かれる事でも有名です。

公園の入口には巨大なショパン像が設置されています。

1994年、このショパン像の2/3の縮小レプリカが世界で初めてポーランド国外に 寄贈されて話題になりました。ワルシャワと浜松市の音楽文化友好交流協定を 記念してのもので、現在は浜松市アクトシティのショパンの丘に設置されています。

ワジェンキ公園は、17世紀に造成されたものを、1766年から30年もかけて、 ポーランド最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが改造させ、 公園の中ほどに、ヴィスワ川から水を引いた川のような池の上に造られた夏の離宮、 「ワジェンキ宮殿」別名「水上宮殿」があります。

スタニスワフ王は芸術に深い関心を持ち、絵画ギャラリーを所持し、 国立の美術館を造るつもりで、絵画を収集させていたのですが、1795年の ポーランド消滅でこのコレクションは宙に浮き、 ダルウィッチ・ピクチャー・ギャラリーとなった事は第150回で述べました。

スタニスワフ王が所持していた絵画の中で最高の傑作は、レンブラントの大作 「ポーランドの騎士」。 白馬に乗って進む凛凛しい騎士の姿を活写したレンブラント畢生の名作です。

この名画は王の死後子孫によって売却され、数人の手を経た後1910年に アメリカの鉄鋼王ヘンリー・フリックの手に渡りました。 私は1981年、ニューヨークのフリック・コレクションでこの絵に接し、 絵画の魅力に完全に取り憑かれる事になりました。

ワジェンキ公園は王の死後ロシアに売却され、1918年ポーランド独立時に国の 所有になるのですが、ナチス・ドイツのポーランド占領でワジェンキ宮殿にあった 美術品は略奪され、1944年には宮殿内部を放火されるという悲劇を経験しています。 ドイツ軍が撤退する時に仕掛けかけた爆薬が不発だったのは不幸中の幸いでしたが。

現在のワジェンキ宮殿は見事に修復され、略奪された美術品も大部分が返還され、 国立美術館の分館として一般に公開されています。

美麗な宮殿内を保護するため、入場者は、ヨーロッパでは珍しいことですが、 入口で靴の上に布製のカバーを着けさせられます。

ヴィラヌフ宮殿同様、内部の装飾は見事なのですが、多数ある絵画には 目ぼしい物は少なく、ピーテル・ブリューゲル子とヨルダーンス、ヴァン・ダイク ぐらいが目に付いた程度でした。

ヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678)はアントワープの生まれで、 ルーベンスやヴァン・ダイクと同時代を生きた、アントワープ派の一人です。 ただ他の二人とは異なり、海外に出ることなく生涯を生地で過しています。

彼の絵はルーベンスの作品と見間違えるほどよく似ている物もありますが、 それも道理、ルーベンスの師でもあったアダム・ファン・ノールトの下で 8年間修業し、16歳年上の兄弟子ルーベンスと共同作業をした事もあり、 師にも劣らぬ強い影響を受けているのです。

ヨルダーンスは後に師ノールトの娘を妻にしています。

ヴァン・ダイクは1620年からイギリスやイタリアで過しており、 ヨルダーンスは、1640年にルーベンスが亡くなった後は アントワープ第一の画家として活躍しました。