美術館訪問記-224 ワルシャワ国立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ワルシャワ国立美術館正面

添付2:ワルシャワ国立美術館内部

添付3:ヌビア王国壁画「聖アンナ」

添付4:ボッティチェッリ作
「聖母子と洗礼者ヨハネ、天使」

添付5:チーマ・ダ・コネリアーノ作
「博士達とイエス」

添付6:チーマ・ダ・コネリアーノ作
「聖エレーナ」
ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵

添付7:ジャン=バティスト・グルーズ作
「ギタリスト」

添付8:作者不詳「オルシャの戦い」

添付9:ヤン・マテイコ作
「グルンヴァルトの戦い」

ポントルモがらみで2回寄り道しましたが、話しをワルシャワに戻して、 今回は78万点を収蔵するというポーランド最大の美術館、 「ワルシャワ国立美術館」を採り上げましょう。

この美術館はワルシャワを縦貫して流れるヴィスワ川の西、町の中心近くにあり、 中2階、中3階もある3階建てで、角柱の建ち並ぶ、スッキリとした 近代的デザインのビルに納まっています。

古代ローマ、ギリシャ、エジプトの発掘品に混じって、 ヨーロッパではここしかない、スーダンのヌビア王国の遺跡から掘り出してきた 8-14世紀の壁画断片が先ず目を惹きました。

スーダンはエジプトの南に接する国ですが、ビザンチン文化とキリスト教文化が 伝わっていたようで、より純粋で素直な思いが伝わって来ます。

ここのイタリア美術コレクションは素晴らしい。ボッティチェッリ、ヴェロネーゼ、 チーマ・ダ・コネリアーノ、ティントレット、パリス・ボルドン、 ルカ・ジョルダーノ、カルロ・ドルチ、ティエポロ等が揃うのですから。

チーマ・ダ・コネリアーノ(1459-1517)は 本名ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ。 ヴェネツィアの北の丘の町、コネリアーノの出身なのでこの名で呼ばれます。 コネリアーノはここで生産されるブドウ品種のワインであるプロセッコで有名。 チーマとはイタリア語で布を剪断する事で、父親が就いていた仕事なのでした。

彼はヴィチェンツァで修業後、1492年にはヴェネツィアに居を構え、 ジョヴァンニ・ベッリーニの影響を強く受けて、 「貧者のベッリーニ」と呼ばれたりもしています。 つまりベッリーニ風の絵を描くが、画料はずっと安いということでしょう。

チーマについては奇妙な縁があります。私はどういう訳か、 飛行機の中では殆ど眠れず、映画を観て過ごす事が多いのですが、 何回目かのイタリアへ飛ぶ機中の「冷静と情熱のあいだ」という映画で、 主役の絵画修復研修生が修復していたのがチーマの絵なのでした。

チーマ・ダ・コネリアーノという画家は認識していなかったのですが、 フィレンツェの工房で修業中の若い主人公が担当していた画家なので、 たいした画家ではないだろうと気にもしていませんでした。

ところが、イタリアに着いて最初に訪れたミラノのブレラ美術館に マンテーニャやジョヴァンニ・ベッリーニ、カルパッチョ等、 錚々たる大家に伍してチーマの作品が5点も展示されているではありませんか。

それまで2回、ブレラ美術館を訪れていながら、既知の巨匠にばかり目が行き、 チーマを正当に評価していなかったのです。 改めて観直すと、優雅で気品があり、鮮やかな色彩と洗練された構図、 緻密な描写で、独自の個性を主張する素晴らしい画家の一人です。

ドメニコ・ギルランダイオについても同様な経験をしていましたが、 一旦認識すると、何故これだけの画家に目が行かなかったのかと不思議なくらい チーマの作品は多くの美術館で、際立って優雅に気高く自己主張しているのでした。

彼の最高傑作はワシントンのナショナル・ギャラリーにある 「聖エレーナ」でしょうか。 絵の背景はコネリアーノの町です。

この美術館にはイタリア美術だけでなく、クラナッハやヤン・ブリューゲル父、 マビューズ、ヨルダーンス、レンブラント等のドイツ、フランドル絵画、 ナティエ、グルーズ、アングル等のフランス絵画の名品もありました。

クラナッハの工房にいた画家の作と推測される「オルシャの戦い」が 密集した兵士達の描写が面白く印象に残りました。 オルシャの戦いは1514年、3万5千のポーランド及びリトアニアの連合軍が オルシャにおいて8万の兵力を誇るロシア軍に歴史的勝利をしたものです。

勿論ポーランドの画家達の作品が一番多く展示されています。 中で一際、目を惹いたのがヤン・マテイコ(1838-1893)でした。

426 x 987cmという美術館の壁面一杯を占有する巨大絵画、 「グルンヴァルトの戦い」の迫力に圧倒されたのです。

グルンヴァルトの戦いは1410年7月15日、ポーランドとリトアニアの連合軍が ドイツ騎士団に勝ったもので、ヨーロッパ史上でも特筆される戦闘でした。

今でも7月の中旬、ヨーロッパ中から何千もの騎士の扮装をした人達が グルンヴァルトに集結し、この戦いを再現したお祭りを開催しており、 2010年からは、戦いの600周年を記念してポーランド共和国と リトアニア共和国、両国が国を挙げてサポートする、ヨーロッパで最も大きく、 最も国際的な歴史祭りの一つとなっています。

ヤン・マテイコは幼少の頃から際立った画才を発揮して神童と謳われ、 国の奨学金でミュンヘンとウィーンの美術アカデミーで3年間学んだ後は クラクフに戻り、生涯をクラクフで終えています。

彼はポーランドの歴史上の出来事を採り上げた作品を発表し続け、 1865年にはパリのサロンで金賞を、1867年のパリ万国博覧会でも金賞を獲得し、 国際的にも名の知れた画家となり、1873年には35歳の若さで、 創設されたばかりのクラクフ美術学校の初代校長に就任しています。

ポーランド人の愛国心に訴えかけ、鼓舞する彼の絵は国民に敬愛され、 第二次世界大戦中も戦禍を避けて隠蔽され、無事に生き延びてきており、 ポーランドの方々の美術館で彼の作品を見かけました。