美術館訪問記-222 チェルトーザ絵画館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ガッルッツォ修道院外観

添付2:ガッルッツォ修道院内部

添付3:ポントルモ作
「キリストの復活」

添付4:ポントルモ作
「十字架を担うキリスト」

添付5:ガッルッツォ修道院中庭

添付6:ガッルッツォ修道院中庭のテラコッタ彫刻

添付7:ガッルッツォ修道院中庭回廊

ポントルモと言えば、思い出すのはイタリア、フィレンツェの南、 5km程の所にあるチェルトーザ村にある「チェルトーザ絵画館」。

絵画館といっても、大きな修道院内部の一画にあり、案内がなければ入れません。

小高い丘の上にあるこのガッルッツォ修道院は、高い塀に囲まれており、 1342年フィレンツェの商人の寄進によって建てられたものです。

門は固く閉じられており、15時の開館ということでしたが、15時10分頃になって 漸く老神父が現れました。客は他に日本人の若いカップル、 太った中年のイタリア人女性3人組とイタリア人の壮年夫婦。

神父さんに従って門内に入ると、巨大な修道院の前方に、 ゴシック様式の旧学舎があり、それが絵画館になっているのでした。

ここにポントルモのフレスコ画「キリストの受難 5点がありました。
もとは修道院の回廊に描かれていたもので、今は壁から剥がされて 絵画館に収められているのですが、色落ちと損傷が激しく、残念な状態でした。

ポントルモは、同時代を生きたヴァザーリによると、人嫌いで、 誰にも仕事の様子を見せようとはせず、家の2階の仕事場兼寝室には、 引き上げ式の梯子で出入りし、仕事場に入ると梯子を引き上げたとか。

また毎日の食事の事だけを記しただけの事が多い日記を残していますが、 異常な粗食で、断食の日も多い。 弟子のブロンズィーノとの会食の時だけは豪華な食事で、 彼は心を許した人には正常に振舞っていたように見えます。

ただこの粗食も健康を思っての事だったからのようで、 人里離れたチェルトーザの修道院に彼の壁画が残っているのは、 フィレンツェで一時流行したペストを避けて、隔離されたこの場所に逃れ、 かくまってくれるお礼と、手持無沙汰の解消のために描いたのだとか。

神父の案内で絵画館のみならず、修道院の中を次々と移動していきます。 壮麗な大修道院で美術品も多い。

広い中庭のアーチには、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの工房が制作した、 旧約聖書に登場する人物、預言者、聖人が、頭部だけですが、 ずらり66体並んでおり圧巻でした。

神父は朗々とした声で説明してくれるのですが、イタリア語で殆ど判りません。 英語が話せるか聞いてみましたが、イタリア語だけだということでした。

この修道院は入場無料。1時間近くを割いてくれた神父さんにも、 まさかチップをあげる事はできず、その分修道院に喜捨をして、 トスカーナの風景を楽しみながら帰途についたことでした。