美術館訪問記-220 マンガ日本美術・技術博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:北斎漫画一例

添付2:アンジェイ・ワイダ監督

添付3:マンガ日本美術・技術博物館全景

添付4:天皇皇后両陛下署名額

添付5:マンガ館案内表示

添付6:マンガ館内部

添付7:歌川国芳作
「相馬の古内裏」

添付8:マンガ館内カフェテリア

ポーランドはまだ2箇所しか採り上げていませんでした。

ポーランドの古都、クラクフには「マンガ日本美術・技術博物館」という 日本美術に特化した美術館があります。通称マンガ館。

マンガ館と言うと、今や世界的にブームとさえ言える日本のマンガやアニメを 想起するかもしれませんが、このマンガは漫画で、北斎漫画から来ています。

「北斎漫画」とは「冨嶽三十六景」等で有名な葛飾北斎が著したスケッチ画集。

ここで言う漫画とは、折りにふれ、筆のおもむくままに描いた絵といった意味で、 森羅万象あらゆるものを題材に描いた「北斎漫画」は、江戸の庶民から大名まで 広く親しまれ、今日で言う大ベストセラーとなりました。

「北斎漫画」は19世紀中頃ヨーロッパにも伝わり、 ジャポニスムの流行を引き起こす原動力ともなっています。

ポーランドの大地主の家に生まれたフェリクス・ヤシェンスキ(1861-1929年)は ヨーロッパ各国を旅する間にジャポニスムに触れ、大の日本美術マニアとなり、 浮世絵、掛け軸、屏風、鎧、兜、刀剣、漆器、着物、印籠等の日本美術品を 15000点も収集したというのです。

彼は批評家、作家として活躍しましたが、ペンネームを北斎漫画から採った マンガ(Manggha)とし、1920年、彼の収集品をクラクフの国立博物館に寄贈します。

しかし国立博物館には既に作品を展示するスペースがなく、死蔵。

ここで登場するのが、坂東玉三郎主演の「ナターシャ」の舞台演出や映画監督で 日本でも名の知られたアンジェイ・ワイダ監督。

彼は1944年、18歳の時に、当時ポーランドを占領していたドイツが、 同盟国日本のためにマンガの美術品の一部をクラクフで展示していたのを観て、 「人生においてあのとき初めて、真の芸術に出会った。」 と後に語る程の感銘を受けるのです。 

1987年、人類の精神的深化・高揚に著しく貢献したとして、京都賞を受賞した彼は その賞金4500万円を基金として、「若かった私が初めて日本の美術に触れた時に 得たあの幸福感を、他の人々にも味わってもらいたい」と、 死蔵されているマンガの寄贈品を常設展示する美術館を建設する事を決意。

ワイダ監督の呼びかけに答え、JR東日本労働組合が100万ドル、日本政府も 300万ドルを寄付。クラクフ市も建設地を無償提供。磯崎新が無償で設計を手掛け、 1994年、ヴィスワ川を挟んだヴァヴェル城の対岸にマンガ館が完成したのです。

開館式にはワレサ大統領と高円宮も出席。 入口入って直ぐの所には2002年に訪館された天皇皇后両陛下の署名額が 掲げられていました。

この美術館ではポーランドで唯一、日本語、ポーランド語、英語併記で 種々の案内表示がされています。

マンガ館は美術館としてだけではなく、日本文化の伝導役も果たしており、 茶道、書道、剣道、活け花、盆栽等、多種多様な日本文化の紹介や研修を実施。 2003年には隣に日本語学校も設立されました。

ここのカフェは、ヨーロッパではお目にかかれない、どら焼きやあんパンが 名物とかで、私達もトライしました。食べ物は久しぶりの味で楽しめましたが、 年代物の鉄の茶器で出て来た雁金茶は、保管が悪かったとみえ、 殆どお茶の味がしなかったのでした。