美術館訪問記-212 ノートン・サイモン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ノートン・サイモン美術館外観

添付2:ドガの部屋

添付3:ロレンツォ・モナコ作
「受胎告知」

添付4:ストスコップフ作
「空のグラスのある静物」

添付5:スルバラン作
「レモンとオレンジ、バラのある静物」

添付6:ヴァトゥー作
「横たわる裸婦」

添付7:ティエポロ作
「無知に対する美徳と高貴さの勝利」

添付8:ボナール作
「レイラ・クラウド・アネットの肖像」

添付9:セザンヌ作
「花瓶に挿した花々」

添付10:ルドンの上記の模写作品

サンディエゴから車で2時間半程北北西に走ると、ロサンゼルスの北に位置し、 高級住宅地として知られているパサデナの町にある 「ノートン・サイモン美術館」に着きます。

平屋建ての近代的な建物に至るアプローチには、左右にヘンリー・ムーア、 ロダンの「バルザック」「カレーの市民」「考える人」など、 彫刻の大作が芝生の中に並んでいます。

ノートン・サイモン(1907-1993)は、大学を6週間で中退し、 職について貯めた7000$を20歳でオレンジジュースの瓶詰め会社に投資。

この成功を基に食品業へと拡大。更にCanada Dry, Max Factor, Avisや 出版、テレビ制作会社等を次々と買収。億万長者となりました。

1950年代半ばから美術品収集に乗り出し、まず印象派の絵からコレクションを始め、 1964年にドゥリーン卿が開設した有名な美術商会を買い取り、 一流の絵画、彫刻、タペストリーを手に入れました。

ルネサンスからバロック、インド、東南アジアの宗教美術にも手を広げ、 1970年初には4000点以上のコレクションを有するまでになったのです。

収集品の置き場に困った彼は、アンドレ・マルローの打ち出した 壁のない美術館構想を借りて、多くの美術館にそれらを貸し出していましたが、 1974年には経済的に危機に瀕したパサデナ美術館を引き継ぎ、 自分の名前を冠した美術館として再建。

自らのコレクションを集めた一大美術館に生まれ変わらせたのでした。

コレクションの質の高さは超一級で、ルネサンス絵画からバロック、ロココ、 古典主義、写実主義、印象派、後期印象派、ピカソ、マティス、 ラウシェンバーグまで、著名な画家の作品は殆ど漏らすことなく収集されています。

大量収集画家も多く、ドガはブロンズ像だけでも80点近く、油彩画、パステル画、 デッサンも30点余りあり、ヤウレンスキー74点、クレー47点、 カンディンスキー23点、ピカソ22点、ゴヤ10点、ルーベンス8点、 ロラン、クールベ、ゴッホ、ロートレックが7点ずつ、 コロー、ルノワールは6点ずつと質・量共に感嘆するしかありません。

名作が数ある中で、ロレンツォ・モナコの「受胎告知」は彼の最高傑作でしょう。

ロレンツォ・モナコ(1370-1425)は本名ピエロ・ディ・ジョヴァンニ。

イタリア、シエナの出で、フィレンツェのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 の修道士となりドン・ロレンツォと名乗りました。

ロレンツォ・モナコは修道士ロレンツォという意味でこれが通称になっています。

1402年には画家として登録されており、フィレンツェで大工房を開いています。

宗教画と本の挿絵が主ですが、修道士出身らしい洗練されて敬虔な作風で、 それが好まれてか世界中の大美術館やイタリア各地の美術館に所有されています。

まだ国際ゴシックの色濃いロレンツォ・モナコにしては、この絵の三次元的構成、 艶やかなブルーとピンク、ホワイト、ゴールドの色使い、 左手を胸に当て、大天使ガブリエルを見詰めるマリアの真摯な表情等は 出色の出来と言ってよいでしょう。

他にもジョルジョーネの「娼婦」、バッサーノの「エジプトへの逃避」、 ストスコップフとスルバランの静物画、レンブラントの「息子の肖像」、 ヴァトゥーの珍しいヌード、ティエポロの「無知に対する美徳と高貴さの勝利」、 シャルダンとグアルディのこれも珍しい大作1点ずつ、 ボナールの「レイラ・クラウド・アネットの肖像」等印象に残る作品が目白押し。

セザンヌの「花瓶に挿した花々」をルドンが模写したものを 並べて展示してあったのも面白く感じました。