美術館訪問記-205 三橋節子美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:三橋節子美術館正面

では日本初の女性画家個人美術館は?

私の訪れた限りでは滋賀県大津市にある「三橋節子美術館」。

1995年の開館です。

尤も日本は、欧米と異なり、まだ虱潰しには廻っていないので、 他に早く造られた美術館があるかもしれません。

「いわさきちひろ絵本美術館」は1977年開館と早いのですが、 彼女は童画家で、女性画家とは言い難いでしょう。

三橋節子(1939-1975)は、京都市立芸術大学を出て日本画家になり、 29歳で日本画家鈴木靖将と結婚。

長男、長女もでき、充実した生活を送っていた矢先、34歳で右鎖骨に癌がみつかり 利き腕の右腕を切断 してしまうことになります。

画家が利き腕を失うのですから、その絶望は、計り知れないものがあったでしょう。

しかし不屈の闘志を持つ彼女は、手術後暫くして、左手で文字を書く練習を始め、 ほどなく、左手で絵筆を走らせる事ができるようになるのです。

彼女は言い残しています。「絵は、手が描くのではなく、心が描くのです」

近江を愛した節子は、絵の題材に近江の民話を取り上げて多くを描きました。

そしてその絵の中には、当時まだ幼かった我が子が登場し、子供達を残して旅立つ であろう母としての深い思いが込められていて、見る者の心を打つのです。

その年から幾つかの作品をものにし、京都府日本画総合展に出品した 「余呉の天女」は、彼女としては6作目の京都府買い上げの栄誉に属するのですが、 残念ながら、癌が肺に転移し、35歳の若さで夭折。

それが絶筆となってしまいました。

哲学者で節子の母校、京都市立芸術大学の学長でもあった梅原猛は、 彼女の生き様に感じ、 「湖の伝説―画家三橋節子の愛と死」という一作を世に出します。

この本は新潮文庫に入っていますから、興味のある方は、是非お読み下さい。

実は私は三橋節子については全く知らなかったのですが、 2007年2月4日放映のNHK新日曜美術館で、三橋節子美術館と彼女の人生が 映し出され、その壮絶な生涯と、彼女の作品の迫力に打たれ、 行ってみようと思ったのでした。

この美術館は梅原猛を始めとする識者の後押しを受け、遺族や多くの所蔵者から 作品の寄贈を受けて、開設されました。

琵琶湖の西、大津の長等山の山腹にある長等山公園内にあり、 眺望の良い景勝の地で、木立の間から比叡山が望めました。

(添付2:三橋節子作「池苑」1966、添付3:三橋節子作「湖の伝説」1973 ここまでは右手で制作、添付4:三橋節子作「花折峠」1974、添付5:三橋節子作「余呉の天女」1975 は著作権上の理由により割愛しました。
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