美術館訪問記-204 ジョージア・オキーフ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ジョージア・オキーフ美術館正面

添付6:オートバイの後部座席に乗ったオキーフ、1944年

パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館が世界初の女性画家個人美術館なら、 アメリカで初の女性画家個人美術館はどこでしょう。

アメリカ、ニューメキシコ州、サンタフェにある「ジョージア・オキーフ美術館」

1997年の開館で、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館に遅れる事、70年。

ジョージア・オキーフ(1887-1986)は、農家の生まれでしたが、画家を志し、 病気で中断しながらも、アート・インスティテュート・オブ・シカゴ、 ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグ、ヴァージニア大学等で学びます。

当時アメリカを代表する写真家のアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)は ニューヨークで画廊も経営しており、セザンヌやマティス、ロダン等の ヨーロッパの先進的な芸術家たちの個展を開いたばかりでなく、 アメリカの新進気鋭の芸術家たちの後援もしていました。

オキーフの作品が、そのスティーグリッツの目に留まり、 1917年、彼の画廊で、彼女の最初の個展が開かれるのです。

芸術家として認め合う二人は、恋に落ち、1924年結婚。

オキーフは、アメリカでは最初期の抽象画家でもあるのですが、 植物の写実的なイメージから、それを拡大し抽象化し、 観方によっては官能的な印象を受ける、植物の絵で人気になります。

しかし、それらがエロティックだと言う心ない批評を逃れ、隠れ住んだ、 ニューメキシコの荒野の風景に、新境地を開くのです。

スティーグリッツの死後はニューメキシコに籠り、 ひたすら絵を描いた彼女の作品の大部分は、この美術館の所蔵になっています。

第5回で、スターリング・アンド・フランシーヌ・クラーク美術館が、 主要都市から出かけるとして、最も辺鄙な所にある美術館、と書きましたが、 訂正して、ジョージア・オキーフ美術館にしなければなりません。

なにせここまで来るには、サンフランシスコからロスアンゼルス経由の飛行機で 合計4時間、アルバカーキへ飛び、そこから車で、サンタフェまでは 西部劇で見るような荒野を飛ばす事1時間余り、 レンタカーのサンフランシスコでの返却、アルバカーキでの借り出しもあり、 サンフランシスコのホテルを出てからだと合計7時間近くかかりました。

サンフランシスコからサンタフェまでのダイレクト・フライト便ができれば、 苦労はないのでしょうが。

しかも、クラーク美術館は近くにウィリアムズカレッジ美術館や マサチューセッツ現代美術館、スミスカレッジ美術館等があり、 時間を有効に使えるのですが、サンタフェの近辺には何もない。

一番近いエル・パソ美術館まで、700kmはあるのです。

美術館は、この街に多い薄茶色のレンガ色のこじんまりした箱形の2階建て。 1階の左側に展示室、右側に売店、2階はオフィスになっています。

美術館には1000点を超えるオキーフ作品が所蔵されているとの事ですが、 この日展示されていたのは油彩49点、水彩8点、パステル2点、素描14点、 彫刻1点、オキーフの写真22点、内1点はカラー、風景写真9点でした。

オキーフの使った絵の具、筆、クレパス、パステル、色見本も展示されていました。

ここはアメリカでは珍しく、撮影禁止。

せめて入口に掛かっている、オートバイの後部座席に乗ったオキーフの写真を 撮ろうとしたら、それも駄目で、代わりにその写真の絵葉書をくれました。

(添付2:ジョージア・オキーフ作「ヌード・シリーズ VII」1917、添付3:ジョージア・オキーフ作「秋の木々」1920、添付4:ジョージア・オキーフ作「チョウセンアサガオ」1932、添付5:ジョージア・オキーフ作「雄羊と青い朝顔」1938 は著作権上の理由により割愛しました。
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