美術館訪問記-203 パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館外観

添付2:パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館内部

添付3:モーダーゾーン=ベッカー作
「赤い帽子の若い女」1900年

添付4:モーダーゾーン=ベッカー作
「静物」1906年

添付5:モーダーゾーン=ベッカー作
「自画像」1906年

添付6:モーダーゾーン=ベッカー作
「自画像」1907年

添付7:クラナッハ作
「眠れるヴィーナス」

添付8:ブレーメンの街角にあった彫像

前回触れたパウラ・モーダーゾーン=ベッカー(1876-1907)は、 ご存じない方もおられるかもしれません。

私も彼女の為に造られた美術館に行くまでは、彼女をよく認識していませんでした。

パウラ・ベッカーは、ドイツ上流階級の生まれで、 12歳の時に家族でブレーメンに移り住み、絵画の個人授業を受けて育ち、 20歳で、ベルリン芸術家協会が提供する、絵画過程を受講しています。

22歳でブレーメンの東15km程の、ヴォルプスヴェーデにできたばかりの、 芸術家村に住み始め、ここで知り合った、画家のオットー・モーダーゾーンと 恋に落ち、25歳で結婚して、モーダーゾーン=ベッカーと名乗るようになります。

24歳から31歳まで、6度に亘ってパリに長期滞在をしており、 パリの国立芸術学校に通いながら、セザンヌやゴーギャン、ゴッホの絵画に接して、 強い影響を受けたりしています。

パリ滞在中は、オットーと彼の連れ子を残しての単身で、 一時は離婚も決意したようなのですが、31歳で子供に恵まれ、 漸く落ち着いて生活を始め、画業も最盛期を迎えたところで、塞栓症にかかり、 その年に亡くなってしまうのです。

ブレーメンの富豪で芸術愛好家だったルートヴィッヒ・ロゼリウスは パウラの芸術上のパトロンでもあったのですが、 パウラとも面識のあった彫刻家兼建築家のベルンハルト・ヘットガーに依頼して 自分の家に隣接して、彼女の為の美術館を建設させるのです。

ドイツ表現主義建築の代表例にもなっているモダンな建物で、 とんがり帽子の塔のついた赤レンガ製なのです。

これがブレーメンにある「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー美術館」。

1927年開館で、一人の女性画家のために造られたものとしては世界初の美術館です。

ここにはロゼリウスの収集品や、オットーやパウラの娘のマチルデが所有していた、 パウラの油彩画57点が展示されており、彼女の画業の推移を辿る事ができます。

暖か味のある、色彩感覚鋭い、良い絵で、初期のドイツ表現主義を 代表する画家として、近年人気になっているのが納得できました。

この後ドイツのみならず、欧米各地の美術館で彼女の作品に気付く事になりました。

隣の、1588年建造というロゼリウスの家も、2階で繋がっており、 こちらも見学できるのですが、クラナッハの油彩画3点と リーメンシュナイダーの彫刻1点が目に付きました。