美術館訪問記-200 クンストハウスウィーン

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:クンストハウスウィーン全体図

添付2:クンストハウスウィーン正面

添付3:クンストハウスウィーン内部通路

添付5:フンデルトヴァッサー・ハウス

添付6:フンデルトヴァッサー・ハウス

添付7:フンデルトヴァッサー・ハウス

添付8:フンデルトヴァッサー設計「大阪市環境局舞洲工場」2001年完成

現在も継続して開館されている美術館としては、オーストリア最初の私設美術館は、 「クンストハウスウィーン」

と言っても、1991年の開館ですが。

ここは、「ウィーンのガウディ」とも言われる、フンデルトヴァッサーが、 1892年に建てられた昔の工場を根本的に改造して、造り上げた美術館なのです。

フンデルトヴァッサー(1928-2000)は、本名フリードリヒ・シュトーヴァッサー。

ウィーンの生まれで、画家を志し、ウィーン美術アカデミーで3カ月学んだ以外は 特に建築の教育は受けていないようですが、 曲線を多用し、ガラスやメタル、レンガ、木材、陶器タイル等を使用した、 カラフルで不規則な形態の建築を手掛けています。

この美術館もそんな彼の特徴がよく出ています。

自然との共生を提唱した彼の信念に従い、建物の内外に植物が植えられており、 床は波打ち、美しい色タイルが貼られ、葱坊主に色をつけたような柱と飾りが並び、 室内に、水が溢れる泉があり、実にユニークな美術館になっています。

彼の絵は、赤と歪んだ円と渦巻きを多用し、要所々々に金属箔を使っていますが、 サイケデリックではなく、めくるめくような色彩が乱舞しています。

展示物も、それらを展示している空間も、 全てフンデルトヴァッサーの自作自演であり、 その意味では、芸術家として理想の美術館とも言えましょう。

そんな彼に、1977年、当時のウィーン市長が市営住宅の設計を依頼します。

フンデルトヴァッサーの描いたイメージは、従来の建築理論と相容れない、 常識外れのもので、引き受ける建築家が見付からず、 やっと着工されたのは6年後。

完成は1986年のことでした。

この市営住宅、「フンデルトヴァッサー・ハウス」は、入居希望者が殺到。

ウィーンの名物になっています。

クンストハウスウィーンから近いので、行ってみると、近づくにつれ凄い人だかり。

たまたま休日だった事もあってか、まるで祭りのように人が集まっています。

この静かな住宅街に、そのアパートの前にだけレストランができ、 屋台まで出ています。

植物と共に生きる家という事で、至る所から木々が顔を出しており、 形状はうねり、部屋毎に違った色彩で塗られています。

ただのアパートがこれだけ人を呼ぶ場所を、他に知りません。

フンデルトヴァッサーの建てた家は、まさに人を癒す力を持つようで、 見ていて何やら楽しくなってくるのでした。 フンデルトヴァッサーは大阪市環境局舞洲工場のように、心浮き立つような ゴミ処理工場を始め日本にも幾つかのの作品を残しています。

(添付4:フンデルトヴァッサー作「わたしはまだわからない」は著作権上の理由により割愛しました。
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