美術館訪問記-195 モントリオール美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:モントリオール美術館旧館

添付2:モントリオール美術館新館

添付3:新館内部

添付4:カナダエスキモー作木製帽子

添付5:カルロ・クリヴェッリ作
「最後の晩餐」

添付6:ドーミエ作
「サチュロスから逃げる女達」

添付7:ティソ作
「10月」

添付8:ブグロー作
「花の冠」

カナダ、ケベック州の州都はケベック・シティですが、 最大の町は人口160万を超えるモントリオールです。

ケベック・シティから車で3時間足らず南西に下った所にありますが、 フランス語を第1言語にする人は人口の2/3になり、かなり英語が通じます。

残りの1/3近くが英語を話すとなると、 フランス語しか知らないという訳にもいかなくなるのでしょう。

「モントリオール美術館」は1860年開館で、カナダ最古の美術館です。

この時建てられた、4本の太い円柱を持つギリシャ神殿風の旧舘と、 道路を隔てた向かい側に1991年新装なった新館の、2つから構成されています。

新館は、旧舘とは対照的に、現代建築の粋を集めたようなモダンな造りで、 ガラス・ハウスと呼ばれ、5階建ての高さのビルの5階から45度の角度の、 ガラス屋根あるいはガラス窓と言うべき物が1階まで横切り、 各階を、段差の小さいスロープで結ぶ、斬新なデザインです。

2つの建物は地下2階で繋がっています。

旧舘の方は、国立ケベック美術館同様、ケベック州の歴史に焦点をあて、 入って直ぐ左手には、地中海沿岸の考古学的発掘品の部屋があり、 紀元前500年ごろのギリシャ陶器の絵柄に、優れたものがありました。

2階はカナダ人とアメリカインディアンの部屋。

カナダ人画家では、 リリアス・トランス・ニュートンとジョン・スミス、スタンレー・コスグレイヴ。

インディアン作品では、魚と鳥と動物を組み合わせた木製の帽子が目を惹きました。

アメリカ各地の美術館・博物館では何処でもそうでしたが、インディアンや アフリカ人達の細工物は、殆どが19世紀から20世紀にかけてのもので、 それより古いものは滅多にありません。

この帽子もその年代に入ります。

新館は一転、世界の美術品が集結しています。

ネーリ・ディ・ビッチに始まり、メムリンク、マンテーニャ、ボッティチェッリ、 レンブラント、プッサンから印象派、マティス、ドンゲン、ユトリロ等、 第一級の品揃えです。

中でも、カルロ・クリヴェッリの「最後の晩餐」は、 彼らしくない素朴な主従の描き方が面白く、 ドーミエとブーダンの作品も、彼らには珍しく、激しい動きのある作品。

オノレ・ドーミエ(1808-1879)は、「最も偉大な19世紀の風刺画家」と称され、 15歳で、発明されたばかりだった、石版画(リトグラフ)の技法を学びます。

当時、フランスのジャーナリズム勃興期にあり、 風刺画家として王政や政治を批判した作品を描き、一世を風靡します。

多作であった彼は、生涯に4000点を超す石版画、1000点を超す木彫、 500点近い油彩画、100点近い彫刻を残しています。

生前は風刺画家として名を上げましたが、鋭い観察眼によって描かれた油彩画は、 亡くなってから、高く評価され始め、後の印象派にも多大な影響を及ぼしています

晩年は眼病が悪化し失明。借家の家賃が払えず、ホームレスになるところを、 画家仲間のコローが購入してくれた住居に住み、静かに生涯を終えました。

ティソの「10月」は、浮世絵風の斬新なアングルで、正装した女性を捉え、 ブグローの「花の冠」は、これぞブグローという、清純な乙女像。

フェリックス・ヴァロットンの「オンフールでスケッチするヴュイヤール」は、 親密な二人の友情が感じられ、 ダリの「マリア・カルボーナの肖像」は、この作品を描いた時は、まだ21歳の画家の、 初々しい感性が素直に出ていて、好感が持てました。

モントリオール美術館には、2010年、近くにあった教会が 新しく3番目の会場として加わり、展示面積が拡大されました。

注:サチュロス:ギリシャ神話に出て来る森や山の精霊。半人半獣で怠惰。   常時酒に酔っており、女好きで、ニンフを追いかけまわす事に余念がない。

(添付9:ダリ作「マリア・カルボーナの肖像」、は著作権上の理由により割愛しました。
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