美術館訪問記-191 レーマーホルツ・オスカー・ラインハルト・コレクション

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:レーマーホルツ・オスカー・ラインハルト・コレクション正面

添付2:レーマーホルツ・オスカー・ラインハルト・コレクション・ギャラリー

添付3:クラナッハ作
「ヨハネス・クスピニアン博士の肖像」1502年

添付4:ピーター・ブリューゲル作
「雪中の東方の三博士の礼拝」1567年

添付5:ゴヤ作
「鮭のある静物画」 

添付6:ドラクロワ作
「オフェリアの死」

添付7:クールベ作
「ハンモック」

添付8:ルノワール作
「眠る浴女」 

添付9:ゴッホ作
「アルルの療養院の庭」

添付10:ゴッホ作
「アルルの療養院の病棟」 

チューリッヒの北東20kmにあるヴィンタートゥールはスイス6番目の都市ですが 豊かな財力をもつ資産家たちが芸術の花を咲かせた文化の都でもあり、 主なものだけでも17のミュージアムがあります。

訪れる価値のある美術館はその内5つ。

上位3美術館は甲乙つけがたいのですが、他の4つが街中にあるのに、 1つだけ郊外にある、「レーマーホルツ・オスカー・ラインハルト・コレクション」 について述べましょう。

オスカー・ラインハルト(1885-1965)は裕福な貿易商人の一番下の息子として ヴィンタートゥールで生まれ、父の事業を手伝う傍ら美術収集と 芸術家支援に熱中し、1924年には事業から手を引き、後者に集中しました。

収集した作品の内、18世紀から20世紀にかけてのスイス、ドイツ、 オーストリア出身の芸術家の作品、約600点をヴィンタートウール市に寄贈して 出来たのが次回にお話しするシュタットガルテン・オスカー・ラインハルト美術館。

レーマーホルツの方は、残りの約200点の古典から印象派、ピカソ等の 珠玉のコレクションを、自宅共々スイス連邦に遺贈したもので、1970年の開館。

遺贈条件に、収集品を持ち出さない事があるので、 ここにあるものは、ここでしか観られません。

この家は、念願だった美術収集に専念すると決めた時に、 自宅兼作品の展示場所として購入し、ギャラリーを増築したものなのです。

彼は、高邁な美術収集家がそうであるように、 自分は最高の美術品を一時預かっているだけで、全ては子孫にではなく、 公に残すつもりで収集していたと思われます。

というのも、55歳になった1940年から、 ヴィンタートウール市への寄贈は始まっているからです。

片方で積極的に収集しながら、堪能した美術品はどんどん寄贈する。 真の芸術愛好家の証です。

ここは郊外の山中にあり、近くの舗装されていない駐車場に車を停め、 木々の間の小道を抜けて館へ向います。

この辺一帯がオスカーの所有地だったのでしょう。 美術館の前は鬱蒼とした森で、今は公園になっているようです。

所蔵品は、昔の居住場所と増設されたギャラリー双方に展示されていますが、 真の美術愛好家だったオスカーが、好みの画家の作品だけを生涯をかけて、 選択購入したものだけに、極め付きの秀作揃い。

オールド・マスターはヘラルト・ダヴィト、マセイス、ホルバイン、バッサーノ、 ティントレット、グレコ、ルーベンス、プッサン、ロラン、レンブラント、 シャルダン、ブーシェ、グアルディ、フラゴナール、ゴヤ等が居並びます。

クラナッハの「ヨハネス・クスピニアン博士の肖像」は 自然の中に描かれた初めての肖像画で、ピーター・ブリューゲル父の 「雪中の東方の三博士の礼拝」は、初めて降雪が描かれた画として有名です。

ゴヤは4点ありますが、中でも鮭の切り身だけを描いた静物画、 11点もあるドラクロワの、木の枝につかまって流されるのを堪えるオフェリアの図、 6点あるクールベの内、林間のハンモックで眠る乙女を描いた図はいずれも珍しい。

上記以外では、9点あるコローの印象的な女性像3点、 18点もあるドーミエの中では「三等列車」、クールベの「石切り場の工夫達」、 ピサロの「ポントワーズの隠れ家」、マネの「カフェにて」、 10点あるセザンヌの内、自画像と果物を描いた4点の静物画。

12点あるルノワールの内、「眠る浴女」と「オランダカイウとグリーンハウス植物」、

4点あるゴッホの内、「鰊とトマト、レモンのある静物」と「アルルの療養院の庭」、

ロートレックの「女道化師チャウカオ」、 ピカソの「フェルナンデス・ヅ・ソトの肖像」、 マイヨールの彫刻7点と、傑作が目白押しで、非常に密度の濃い美術館です。

特にルノワールの「眠る浴女」はルノワールの「真珠層期」と言われる頃の絶品で、 裸婦の肌はまさに真珠のように輝いています。

ルノワールの全作品中最も美しいものだ、とルノワールの曾孫で 映像作家のジャック・ルノワールが称える1点。

ゴッホの「アルルの療養院の庭」は、オスカーが入手後、 対になる「アルルの療養院の病棟」の存在を知り、 8年もかけて追跡し、手に入れたといういわくつきのものです。