美術館訪問記-191 ラングマット財団美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ラングマット財団美術館外観

添付2:ルノワール作
「コーチの大ヌード」1874

添付3:ルノワール作
「髪を編む少女」1887

添付4:セザンヌ作
「水浴」

添付5:ゴーギャン作
「ミカンとレモンのある静物」1889-1890 

添付6:ルドン作
「海の風景」

添付7:メアリー・カサット作
「青い枕の赤ちゃん」

添付8:メアリー・カサット作
「自画像」1878年
メトロポリタン美術館蔵

添付9:ラングマット財団美術館内部

バーゼルから東南東に50km、チューリッヒからだと西北に25kmほどの所に バーデンという古代ローマ時代からある温泉地があります。

15世紀半ばから18世紀初めまで事実上のスイスの首都でもありました。

ここに手中の珠のような美術館、「ラングマット財団美術館」があります。

印象派前後のコレクションでは、ビュールレ・コレクションが個人客には 月に1回しか公開されない現在では、スイス1と言えます。

ラングマットとは牧草地の事で、 シドニー・ブラウン(1865-1941)夫妻が購入した地所の名前です。

シドニー・ブラウンはアセア・ブラウン・ボベリ社(ABB)の創始者で、 ABBは現在、世界100カ国以上に10万人以上の従業員を持つ電力技術の大手です。

1896年、スイス、ヴィンタートゥールの富豪の娘ジェニーと結婚したシドニーは 新婚旅行で行ったパリでブーダンの絵を購入。

スイス人としては近代フランス絵画の収集の口火を切ることになりました。

その後も印象派絵画の収集に努め、ルノワールは22点も所有しています。

彼にしては珍しい構図の「コーチの大ヌード」や 新古典調の「髪を編む少女」等他では見られないものもあります。

セザンヌも10点もあり、こちらは「水浴」や風景画、静物画などお馴染の主題。 コロー、ブーダン、ピサロも7点ずつありました。 フラゴナール、クールベ、ドガ、シスレー、モネ、ゴッホ、ボナール等も。

ゴーギャンの「ミカンとレモンのある静物」はセザンヌの影響が強く出た静物画で 色彩が瑞々しく、彼の傑作の一つでしょう。

ルドンの「海の風景」という彼には珍しい海景画もあります。

アメリカ人ながらパリの印象派展に積極的に参加したメアリー・カサットも 1点ありましたが、これはスイスで観られる唯一のカサット作品です。

メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカ、ピッツバーグ近郊の裕福な家に生まれ、

6歳から10歳まで5年間、家族でヨーロッパを旅しながら、独仏語を習得。

美術館を歴訪し、画家になる志を固めた彼女は、帰国後15歳で、 両親の反対を押し切って、フィラデルフィア美術アカデミーに入学。

絵画の基礎を学んだ後、21歳でパリに渡り、当時女性はまだ国立美術学校への 入学が許されていなかったので、第一人者のジャン=レオン・ジェロームに 個人教授を受けながらルーヴル美術館に通って模写に励みます。

24歳で漸くパリのサロンで認められ、絵が売れるようになった彼女は、 旧態依然としたサロンに嫌気がし、友人になったドガの誘いもあって 第4回印象派展(1879年)から4度、同展に出品するほか、アメリカとフランスを 中心に、イタリア、スペインなど欧州諸国や中東を歴訪しながら次々と作品を制作。

ドガの影響もあって、パステル画に習熟し、彼女の代表作はパステル画が多い。 日本の浮世絵に刺激を受け版画も手がけるようになります。

なおアメリカのコレクター達は彼女の勧めで印象派の絵画を、早期に多量に 購入しており、実質的にアメリカに印象派絵画を普及させた功績は大きい。

ところで、ブラウン夫妻の死亡後、邸宅に居住していた息子のジョンが 1987年に子供もなく死亡し、邸宅はコレクションもろともバーデン市に遺贈。

その後財団が造られ1990年美術館として一般公開されたのです。

絵画だけでなく、彼等が収集した18世紀のフランス家具やシャンデリア、銀食器、 中国陶器等の豊かなコレクションも邸宅のあちこちに展示されています。

シドニー・ブラウンはイギリス人を父に、スイス人を母に持つのですが、 チューリッヒやバーゼルの富豪の保養地として近隣に並ぶ豪邸のような家は嫌いで、 英国紳士の伝統にのっとり田舎風の暮らしを好んだのだとか。

だからこそ牧草地と名のつくこの地が気に入り、 家の周りの広い庭園には、妻の慈しんだ花々が溢れていたといいます。

今も庭は美しく手入れされ、 芝生の上でピクニック・ランチを楽しむ人々姿がありました。