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美術館訪問記 No.19 アシュモリアン博物館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

アシュモリアン博物館正面

ウッチェッロ作
「森の中の狩」

ウッチェッロ作
「森の中の狩」詳細部分図

ウッチェッロ作
「婦人の肖像」
メトロポリタン美術館蔵

ジョン・エヴァレット・ミレイ作
「オフィーリア」
ロンドン、テート・ギャラリー蔵

ウィリアム・ホルマン・ハント作
「自画像」

前回触れたウッチェッロは、1397年イタリア、フィレンツェの生まれ。 本名パオロ・ディ・ドーノ。 第1回でも述べましたが、この頃は通称で呼ばれる画家が多く、 ウッチェッロはイタリア語で鳥のこと。 彼は小鳥が大好きで、家じゅう小鳥の絵を貼っていたのだとか。

日本ではウッチェロとかウッチェルロとか記述されている事が多いのですが、 イタリア語のUccelloはウッチェッロとしか読めません。 イタリア語では子音が2つ重なると通常「ッ」音になります。

昔は中国人名や韓国人名は日本語読みが普通でしたが、 最近はできるだけ現地の発音で読むようになってきています。 他国人も同じ扱いにしたいものです。

ところで、ウッチェッロが活躍した15世紀半ばは遠近法が脚光を浴びた時期で、 ウッチェッロより21年遅く生まれたピエロ・デッラ・フランチェスカも遠近法理論 の本を出版していますが、ウッチェッロは誰よりも没頭しました。

有名な話がヴァザーリの「芸術家列伝」に載っており、 ウッチェッロの妻の嘆きとして、夫がしばしば仕事場で夜を徹して 遠近法の問題に打ちこみ、心配してもう寝るようにと声をかけると、彼は、 「ああ、この遠近法というのは可愛いやつでなあ」と答えるのが癖だったとか。

そのウッチェッロで記憶に残るのは、イギリス、オックスフォードにある 「アシュモリアン博物館」。

ここは1683年開館の英国最古の博物館。 威風堂々としたギリシャ神殿風の建物です。2階建て。

ここにウッチェッロの「森の中の狩」があります。 73cm x 177cmの細長い板に描かれたテンペラ画です。 1470年頃とウッチェッロ最晩年の作。

キャンバスを使った油彩画が一般的になってくるのは15世紀末からで、 それまでは生乾きの漆喰の上に水か石灰水で溶いた顔料で描くフレスコ画か、 主に生卵を乳化剤として水と油で顔料を溶いて、板の上に石膏地を施した上に描く テンペラ画が普通でした。

美術館の照明が暗く、写真の写りが鮮明でないので、 添付図ではよく判らないかもしれませんが、 人の表情、しぐさが現代漫画のようにユーモラスで、 絵も写実と言うよりデザインのよう。 とても540年前に描かれたとは思えません。

ウッチェッロらしく人馬や犬、倒木等を遠近法を駆使して配置していますが、 飄々として楽しみながら描いている彼の顔が浮かんでくる、 思わず微笑みたくなるような絵です。

それまでニューヨークのメトロポリタン美術館にある「婦人の肖像」のような、 古典的作品しか観てきていなかったので、 急にウッチェッロに親近感を覚えたものでした。

この博物館はイギリス最古の歴史を誇るだけに、 著名イタリア人画家はほとんど揃っています。 イギリス国王から騎士に任ぜられたフランドルのルーベンスやヴァン・ダイクも。

イギリス人画家のレイノルズ、ラムゼイ、ロムニー、ホガース、ゲインズバラ、 コンスタブル、ランドシーア、レイトン、ワッツ、アルマ・タデマ等は当然として、 アメリカ人ながらイギリスで活躍したホイッスラーやサージェントもあります。

ヴァトー、シャルダン、コロー、ドーミエ、ミレー、クールベ、ブーダン等の フランス人画家達。 ピサロ、マネ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ボナール、ヴュイヤール、 マティス、ピカソ、ブラック、ユトリロ等、近代画家達も並びます。

イギリスは絵画の面では、ヨーロッパの中では後進国ですが、 唯一イギリス発信で世界に影響を与えた絵画運動があります。

「ラファエル前派」と呼ばれるもので、当時ロイヤル・アカデミー付属美術学校の 学生だったダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、 ジョン・エヴァレット・ミレイの3人の画家によって1848年に結成されました。

後にエドワード・バーン・ジョーンズやウィリアム・モリスも加わりますが、 フォード・マドックス・ブラウン、フレデリック・サンズ、アーサー・ヒューズ、 アルバート・ムーア等広義ではラファエル前派に組み入れられる親派も大勢います。

彼等はアカデミズムに反発して、当時至上とされていたラファエロを否定し、 それ以前の素朴で自然をありのままに捉える絵画に戻る事を主張。 よくある学生達の既成権威への反発とも言えるのですが、文学に主題を採った 目新しさや、微細で劇的、ロマン主義的な絵画で人気を得ました。 長く埋もれていたボッティチェッリを再発見したのも彼等の功績です。

シェークスピアの「ハムレット」から主題を採ったミレイの「オフィーリア」は 日本に来た事もあり、目にされた方も多いでしょう。

ラファエル前派絵画は広く受け入れられ、 ギュスターヴ・モローなどの象徴主義につながっていきます。 日本でも青木繁や藤島武二等に影響を及ぼし、藤島武二の重要文化財「天平の面影」 にラファエル前派の甘美な女性像の面影を見ることもできます。

イギリスとその支配下にあったアメリカ、カナダ、オーストラリア等の美術館では ラファエル前派の作品を見かける事が多々あります。 第3回のニュー・サウス・ウェールズ州立美術館にも 多くのラファエル前派の作品がありました。

この博物館も勿論ロセッティ、ハント、ミレイ、バーン・ジョーンズ等、 親派も含め多数所蔵していますが、 ハントが14歳の時に描いた「自画像」を添付しておきます。 今に残る彼の最初期の作品ですが、達者な筆捌きで、 栴檀は双葉から芳しということのようです。


注:ラファエル前派はラファエロの前に戻れというのに、何故ラファエロ前派と言わないのか、と疑問に思われるかもしれません。
ラファエロはイタリア語ではRaffaelloでラッファエッロですが、英語ではRaphaelラファエルです。日本では昔からラファエロと呼んでいます。
このように人名、地名は言語によって違う綴りの語も多く、その場合は私も日本の慣用読みに従っています。
ラファエル前派はもともと英語のPre-Raphaelite Brotherhoodを訳したものなので、英語読みのラファエルを使っているのです。
 ちなみにラファエル前派の人達は自分達の絵にラファエル前派の頭文字を使ってPRBと署名しました。
Uccelloは英語でもUccelloです。

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