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美術館訪問記 No.20 県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館:右中央の高い建物

ラ・トゥール作
「荒野の洗礼者ヨハネ」

ラ・トゥール作
「女性の頭部」

ラ・トゥール作
「聖ヨセフの夢」
フランス、ナンテ美術館蔵

ラ・トゥール作
「ダイヤのエースを持ついかさま師」
ルーヴル美術館蔵

第12,13回で採り上げたフェルメールは フランス人に「再発見」されたと言っても、オランダでは、 有名ではなかったものの、全く知られていない訳ではなく、 知る人ぞ知るという存在でした。

それに比べ、本当にある期間、美術史上に完全に存在していなかった画家がいます。

その名はジョルジュ・ド・ラ・トゥール。

ラ・トゥールは上野の国立西洋美術館が2004年に奇跡的に1作を入手し、 2005年に世界中から作品を集めて特別展を開催したので、 ご記憶の方もおられるでしょう。

1915年、当時のバロック絵画の権威、へルマン・フォスによって見出されるまで、 彼は美術史上に存在していなかったのです。 つまり彼の名前の付いた絵は世界に1枚もなかった。 現在彼の作とされているものは、それまでは全て他人の作と考えられていたのです。 勿論彼の名前を知っている者は一人もいなかった。 このような画家は他に知りません。

フォスはフランスの二つの地方美術館にあった作者のはっきりしない3点の絵を、 同一の画家が描いたとして、その作者がジョルジュ・ド・ラ・トゥールだと 指摘したのです。

この論文がきっかけとなり、ラ・トゥール探しが始まると、フランスだけでなく オランダやスイス、イギリスでも彼の作品が発見されます。 1934年にはそれまでに見つかった12点を集めた展覧会がパリで開かれ、 多くの人々が初めて見たラ・トゥールの素晴らしさに感嘆しました。

17世紀初めの頃はまだ美術後進国と思われていたフランスにも、 オランダのレンブラント、スペインのヴェラスケスに比肩し得るような 巨匠が存在した事が明らかになったのです。

一度は歴史から忘れ去られながら、再発見後は、世界中から注目される画家となり、 かなりのことが判ってきているようです。

彼は1593年、フランス、Vic-ser-Seille(ヴィック・シュル・セイユ)という 寒村の生まれです。家業はパン屋だったとか。 当時はロレーヌ公国という小国に属していました。程なくフランスに吸収されます。 ドイツ国境とも近く、覇権は2国間で揺れ動きました。

そのため戦禍に見舞われる事も多く、ペストの流行もあり、 ラ・トゥールも10人の子供を儲けましたが、 彼が50歳時に生き残っていたのは3人。 ラ・トゥール自身も彼の妻の後を追うように1652年、病渦で死亡。 こうして彼の作品も、記録、記憶も焼けたり、忘却されたりしていきました。

ラ・トゥールは1639年にパリに出て当時の国王ルイ13世から国王付き画家として 任命された事は確かなようです。 息子エティエンヌは貴族の称号を得たという記録もあるようです。 そのため祖父のパン屋という職業は何かと不都合で、 記録抹殺に拍車がかかったとか。

パリから見れば辺境の地にいたラ・トゥールはその死後、 動乱の中で急速に忘れられていったのです。

ヴィック・シュル・セイユへはアール・ヌーボーの町、 ナンシーから車で40分かかりました。 この村はラ・トゥールの故郷という以外は何もない、鄙びた小村です。

その中央広場の前に不釣合いな4階建ての近代的なビルが建っています。 これが「県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館」。 隣にラ・トゥールの実家だったというパン屋が未だに店を構えています。

フランス政府がモナコのサザビーズでのオークションで、 モーゼル県に先買権を与え、県が一般からの寄付とロレーヌ地方と政府からの 資金提供で買い取ったラ・トゥールの「荒野の洗礼者ヨハネ」があります。 1993年のことでした。 これを契機に、この美術館が設立されたのです。

もう1点、他の作品から頭部だけを切り出したと考えられる、 ラ・トゥール作「女性の頭部」があります。 他にはフランス人画家のジャン・ジャック・エンネルやレオン・ボナの作品が少し。

ところで、ラ・トゥールの作品は大きく2つの系統に分類されます。 蝋燭のような乏しい光に照らされた神秘的な光と闇の世界が多い宗教系と、 「いかさま師」のような風俗系です。 「荒野の洗礼者ヨハネ」が前者の一例なら、 後者の代表例、ルーヴル美術館の「ダイヤのエースを持ついかさま師」を 観られた方もおられるでしょう。

へルマン・フォスがジョルジュ・ド・ラ・トゥールを発見するきっかけに なったのが、フランスのナント美術館にあった「聖ヨセフの夢」で、 前者の代表例となっています。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールもフェルメール同様 真作と認められているものは少なく、44点しかありません。 その中3点は1点ずつの個人蔵。残りの41点は33美術館に分散しています。 その内32美術館には行きましたが、残りの一つ、 ウクライナにある美術館に何時行けるかが楽しみです。 そこにある「金の支払い」が上野の特別展に来たのを見られたのは幸いでしたが。

NHKで昔、世界美術館紀行という番組があり、今でも時々再放送していますが、 その冒頭は「美術館にはそこでしか語れない物語があります。」で始まります。 絵画もそれを慈しんできた人々と、それを賞翫してきた人々の歴史が伝わる、 本来あるべき美術館で鑑賞したいと思うのです。

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