美術館訪問記-188 イェニシュ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:イェニシュ美術館正面

添付2:イェニシュ美術館内部

添付4:コロー作
「沼際の木の下の二人」

前回触れたオスカー・ココシュカ(1886-1980)は、オーストリア生まれで、 アカデミーと比べ遥かに前衛的な分離主義の牙城、ウィーンの美術工芸学校で 5年間学んだ後、ウィーンの上流階級の肖像画を描くようになり、 アルマに出会うのです。

アルマにつれなくされ始めた彼は、絶望のあまり、「風の花嫁」を売り払い、 勃発した第一次大戦に、志願兵として参加。

頭部に重傷を負って帰国した時には、 アルマは第二の夫、近代建築の父、グローピウスと結婚していました。

ココシュカはその後結婚しますが、死ぬまでアルマの事は忘れられなかったようで ユダヤ人の第三の夫ウェルフェルと、ナチスの追求を逃れてアメリカに渡り、 晩年を過ごしたアルマに、彼女の死を前にして1964年に打った電報が残っています。

「最愛なるアルマ。バーゼルにある私の作品「風の花嫁」の中で、 私達は永遠に結ばれています。」

ココシュカも、ナチスの手を逃れプラハやロンドンに移り住んだ後、 第二次大戦後はスイスに定住します。

ココシュカの死後、未亡人オルガはココシュカ財団を1988年、73歳で設立。 亡き夫の残した800点近くの作品を寄託しました。

今、その財団が全作品を置いているのが、レマン湖に近いスイス、ヴヴェイにある 「イェニシュ美術館」

ココシュカ夫妻の最後の住みかに近い所にあります。

ここはドイツ、ハンブルクの上院議員だったイェニシュが、晩年、 妻のファニー(1801-81)とこの町に住み、夫の死後彼女が市に寄贈した、 20万フランを基に建てられたネオ・クラシックのガッシリとした2階建ての館です。

その後、多くの寄贈で、この美術館の絵画コレクションは1000点を超すといいます。

2階が展示室ですが、部屋数は限られ、半分はココシュカ財団が使い、 ココシュカの作品が数多く展示されているので 美術館独自の展示品はそれほど多くありません。

スタッフは1階の受付の女性一人しか見かけませんでした。

それでも、コローの真骨頂を示す風景画1点や、ホドラーとクールベが3作ずつ、 ジャコメッティの20歳代前半の修業時代の油彩画が2点。

ピカソの未成年時代の作として珍しい、修業時代の1899年に描いた、 「バルセロナの大聖堂の回廊にある噴水」という風景画もありました。

デッサンを豊富に所蔵しているようで、ドメニコ・ティエポロの「羊の頭部」等が 2部屋に展示されていました。

ここの白眉は、バルテュスの「猫の王様」でしょう。

彼が27歳の時の作で、長身の自画像の足元に大きな猫がじゃれている図柄です。

バルテュスは東京駅にあった東京ステーション・ギャラリーが1993年に開催した 「バルテュス展」で、私の好きな画家のリストに加わった画家です。

同ギャラリーが3年前の秋、復活したのは、喜ばしい事です。

バルテュス(1908-2001)は、パリの上流階級の、両親とも画家の家に生まれ、 本名バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ伯爵。

ポーランドの貴族の末裔ですが、ラファエロやミケランジェロなどのように、 姓は関係なく、バルテュスの名前だけで呼ばれる、巨匠です。

両親の親しい友人には、リルケやジッド、ボナール、ドラン、マティス等がいて、 ボナールやドランに幼少の頃から絵の手ほどきを受けたバルテュスは 神童ぶりを発揮。

リルケは彼の早熟な才能に驚嘆し、彼が12歳の時に制作したデッサン集に、 序文を書いて、出版してやっています。

この時彼は、リルケをも驚かす、並はずれた知識と芸術的才能を 既に示していたのです。

ルーヴル美術館で模写をしながら勉強し、イタリアを歴遊して古典を学びます。

ピエロ・デッラ・フランチェスカやクールベが彼のお手本になっています。

当時全盛だったシュルレアリスムや表現主義には見向きもせず、 孤高の道を貫いた彼の絵は、澄みきった静寂をたたえ、神秘的ですらあります。

幼い頃から東洋の芸術に興味を持っていた彼は熱烈な日本賛美者でもありました。 先のデッサン集の題名もミツ(光)という日本語で、彼の愛猫の物語でした。

彼の絵に東洋的詩情を感じるのは、私だけではないでしょう。

友人だった文化大臣、アンドレ・マルローの任命でローマの アカデミー・ド・フランスの館長を務めていた彼は1962年、公務で初来日。

ここで、20歳の節子と出会い、熱烈な恋に落ち、二人は5年後結婚します。

バルテュスは、生涯、節子夫人を愛し続け、夫人も夫を支え、夫の好みに合わせて、 バルテュス生存中は和服で通しました。

二人の間には一人娘、春美が誕生。

一家は69歳から亡くなる93歳まで、文豪ヴィクトル・ユーゴーも愛した、 50室もあるスイスの歴史的山荘「グランシャレ」を購入して自宅とし、 住み込みの日本人料理人と共にスイスで暮らしたのですが、 スイスの美術館で彼の絵を所蔵しているのは、唯一ここしかありません。

バルテュスはなうての遅筆で、一作に何年もかける事は珍しくなく、 2001年まで生存し、長寿を全うした画家ながら、現存する作品は極めて少ない。

この点、友人だったピカソとは正反対です。

その上、バルテュスの絵は熱烈な個人コレクターが多く、 私蔵されていて、美術館で観られる機会は貴重なのです。

(添付3:ココシュカ作「テマシネのイスラム教隠者」、添付5:アルベルト・ジャコメッティ作「サレチナ山とムルテラ山」、添付6:ピカソ作「バルセロナの大聖堂の回廊にある噴水」、添付7:バルテュス作 「猫の王様」 は著作権上の理由により割愛しました。
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