美術館訪問記-186 ファーガソン・ギャラリー

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:パースの眺め

添付2:ファーガソン・ギャラリー外観

添付4:ファーガソン・ギャラリー1階内部

ここ6回、イギリス、スコットランドの美術館が続きました。

スコットランド・シリーズの最後を、 パースにある「ファーガソン・ギャラリー」で締めくくりましょう。

前回のダンディーから西南西に30kmほどの所に、パース市があります。

テイ川に沿う、人口45000人ほどの落ち着いた街ですが、有史以前からの 歴史があり、13世紀から15世紀まではスコットランド王国の首都でした。

800m四方程のパース市の中心部の東南の角、南にある広い公園と東のテイ川に面し、

「ファーガソン・ギャラリー」があります。

1階しかない円筒形の上にキューポラのような若干小さめの円筒を乗せ、 更にその上にトーテム・ポールのような構造物を乗せた特徴的な建物。

このユニークな建造物は元々給水設備として1832年に完成。 スコットランドでは最も古い鋳鉄で造られた建物です。

役目を終え廃棄処分になる所を、この名物建築が無くなるのを惜しんだ 市民の声で全面的に改修され、2階部分を新たにすげ変えて、 ギャラリーに生まれ変わったのです。

開館は1992年3月9日。ファーガソンの誕生日でした。

ジョン・ファーガソン(1874-1961)はエディンバラの生まれで、 美術学校に入学したものの、古臭い授業に我慢できず、数カ月で止め、 後は独学で絵を学び、21歳でパリに渡り、ルーヴル美術館に通って独習しました。

彼が最も惹かれたのは印象派の絵で、当時カイユボットの寄贈した、現在は オルセー美術館の中核を担う、印象派コレクションは、ルーヴルにあったのです。

特にホイッスラーに私淑し、フォーヴィスムに傾倒しました。

マティスやピカソとカフェで芸術論議を戦わせたりもし、同じスコットランドから 来ていた、サミュエル・ペプローとは、格別深い親交を結んだのでした。

39歳の時、当時22歳で、既に自分のダンスチームを持っていた、才能溢れる ダンサーで振付師だったイギリス人、マーガレット・モリスと恋に落ち、結婚。

二人は相互に芸術的刺激を与えあう関係を生涯続ける事になります。

1914年、第一次大戦の勃発により、イギリスに戻り、1920年代には、 鮮烈な色彩を駆使するカラーリストとして、 英国近代絵画の担い手と見做されるようになっていきました。

マーガレットは、ファーガソンの死亡時に残された、彼の作品や資料を 管理するため、財団を設立。

1980年にはマーガレットも死亡し、美術館設立の打診を受けた財団は、 全ての所持品をパース市に寄贈し、当ギャラリーの開館となったのです。

ここにはファーガソンの手になる、150余の油彩画、数百の水彩画と素描、 23の彫刻、60冊のスケッチブック、3000余の手紙、500余の写真等があり、 ファーガソンや、往時のパリやロンドンの芸術の息吹を知る上でも、 貴重な研究資料となっています。

ギャラリー入口前で、彼の作ったトルソの出迎えを受け中に入ると、 中心に階段があり、それを取り巻く円形の壁と外壁の内側に沿って 絵画や素描、写真が展示されています。

後部には資料室があり、研究用のオフィスになっています。

ファーガソンのめくるめくような色遣いと造形に酔ったようになり、 狭い螺旋階段で2階に上がると、マーガレットが使用した舞台衣装や二人の写真、 ファーガソンがマーガレット宛にダンス用の衣装をデザインした手紙等が 展示されていました。

(ファーガソン作 添付3:「女性のトルソ」、添付5:「青い潜水艦」、添付6:「グラスゴー植物園」および 添付7:「スタディオの窓辺で」は著作権上の理由により割愛しました。
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