美術館訪問記-179 フリーア美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アボット・セイヤー作
「処女」

添付2:「サモトラケのニケ」
ルーヴル美術館蔵

添付3:アボット・セイヤー作
「画家の長女」

添付4:フリーア美術館中庭

添付5:俵屋宗達作
「松島図屏風」 

添付6:ホイッスラー作
「孔雀の部屋」の一画

添付7:ホイッスラー作
「孔雀の部屋」の一画、中央は「陶器の国の姫君」 

添付8:ホイッスラー作
「小さな赤い手袋」 

添付9:トーマス・デューイング作
「4つの森の音」 

添付10:ドワイト・トライオン作
「5月の夜明け」 

アボット・セイヤーと言うと、 彼の最高傑作、「処女」に言及しない訳にはいきません。

この絵は、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」が、フランス人を鼓舞する 象徴的な絵であると同様な意味を、アメリカ人に与えているのです。

何物をも恐れず敢然と突き進む、純粋な精神のシンボルの子供達。

モデルはセイヤーの3人の子供ですが、 中央に立つ長女のメアリーと、その後ろの羽根のような雲の形は、 明らかにルーヴルの至宝、「サモトラケのニケ」を意識しています。

シカゴの鉄道王、チャールズ・ラング・フリーアはセイヤーのパトロンでしたが、 この絵を1893年に本人から1万ドルで購入しています。

当時の1万ドルは、現在価値にすると、1億円は下らないでしょう。

妻を1891年に亡くし、この絵の3人の子供達を抱えて苦労していた セイヤーにとっては、大いなる恵みでした。

この絵があるのはアメリカ、ワシントンにある「フリーア美術館」。

セイヤーは、この美術館の階段の上に今も飾られている、 長女メアリーの肖像画を、感謝の気持ちを込めて、フリーアに進呈しています。

この美術館は、フリーアがアメリカ連邦政府に遺贈したコレクションと基金を基に、 1923年、スミソニアン博物館群の一つとして開館。

フリーアは寄贈条件として、他への貸し出しを禁じているため、 ここの所蔵品は門外不出。

その後の多数の寄贈品にも同条件を適用しているため、 ここにある作品はここでしか観られないのです。

フリーアはセイヤー同様、トーマス・デューイングやドワイト・トライオンの パトロンとして、彼等の作品も多く購入していますが、 最も力を入れて収集したのは、ジェームズ・ホイッスラーでした。

フリーアは先ずホイッスラーの版画に興味を持ち、 英国滞在中のホイッスラーに会いに行きます。

ジャポニズムに傾倒していたホイッスラーより、 浮世絵や日本の陶磁器の魅力を教わり、日本美術に感化され、 19世紀末に初めて訪日した彼は、原三渓や益田鈍翁といった好事家と 出会ったことで、日本美術に魅入られ、審美眼を磨いたのです。

俵屋宗達の「松島図屏風」や尾形光琳の「群鶴図屏風」、北斎肉筆画、仏像、浮世絵、 陶磁器など多数の美術品を購入し持ち帰っています。

やがてフリーアの興味の対象は日本だけではなく、東洋全般に広がり、 アジアに計5回旅行。その時収集した東洋美術が多数収められています。

美術館の中に「孔雀の部屋」と呼ばれる一角があります。

これはホイッスラーが、イギリスの富豪であった、 フレデリック・レイランドの食堂として使用されていた部屋を、 金色の孔雀の模様をベースにデザインしたもので、1877年に完成しました。

その後フリーアが、1904年にこの部屋を買い取り、 展示室でもある、デトロイトにあった自身の自宅に保存していましたが、 1919年に彼が死んだ後は、フリーア美術館へと移動されたものです。

この部屋はもともと、 ホイッスラーの友人の建築家、トーマス・ジキルに依頼されたものでした。

その部屋の戸の色彩について、レイランドから相談を受けたホイッスラーが、 レイランドの不在中に、承認も取らずに、高価なスパニッシ皮を使った壁面も含め、 部屋全体を自分の考えで、10カ月もかけて、全面的に描き直してしまったのでした。

完成後これをみたジキルは精神病の発作を起こし、精神病院に入院したままになり、 レイランドは怒り狂い、ホイッスラーのパトロンを降りてしまいます。

しかし、ホイッスラーは、作業中から芸能記者や友人達を招いて宣伝に努め、 記者等も新聞雑誌に好意的に書いたので、それまであまり名の知られていなかった 彼の出世作になったのでした。

ここのホイッスラーの所蔵作品は、油彩、素描、版画で総数1250点にもなるとか。

他にもトーマス・デューイングやドワイト・トライオン、 ウィルソン・ホーマー、チャイイルド・ハッサム、ウィラード・メトカーフ、 ジョン・シンガー・サージェント等アメリカ人画家の作品も展示されています。

なお1987年にアジア・中東諸国の美術品を主に展示する アーサー・M・サックラー美術館が隣に開館し、2つの美術館は地下で繋がっています。

両館の館長は兼任しており、学芸員も共通で、ホームページも同じ。 あたかも1つの美術館のようになっています。

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