美術館訪問記-171 オークランド美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:オークランド美術館正面

添付2:オークランド美術館内部

添付3:ラヴィニア・フォンターナ作
「犬を抱く貴婦人」

添付4:ローレンス・アルマ=タデマ作
「クレオパトラ」モデルはローラ

添付5:ゴットフリー・リンダウアー作
「パレ・ワテネ」 

添付6:フランシス・ホジキンス作
「ベリーと月桂樹」

ニュージーランドの首都はウエリントンですが、 最大の都市はオークランドです。人口約131万人。 ニュージーランドの全人口のほぼ1/3にあたります。

そのオークランドに、 ニュージーランド最大の美術館、「オークランド美術館」があります。

この美術館の正式名称は「Auckland Art Gallery Toi o Tāmaki」ですが、 これはニュージーランドの2つの公用語、英語とマオリ語を組み合わせたもので、 こんな名前の美術館は他に思いつきません。

ちなみにToi o Tāmakiとはマオリ語でAuckland Art Galleryのことです。

アルバート・パークの一角を占めるこの美術館は、 1888年の創設で、ニュージーランド最古でもあります。

中2階のある3階建てでかなりの展示面積があります。 所蔵品は15000点を超えるとか。

オールド・マスターは少なく、パリス・ボルドン、アンニバレ・カッラッチ、 グイド・レーニとピーテル・ブリューゲル子の作品が1点ずつあったぐらいです。

ただラヴィニア・フォンターナの「犬を抱く貴婦人」があったのは収穫でした。

彼女は、第4回で触れたソフォニスバ・アングィッソーラに次ぐ、 史上2番目の大成した女流画家で、 父親のプロスペロー・フォンターナはボローニャのリーダー的画家でした。

彼女は父親の手ほどきで絵画の腕をあげ、 ボローニャの上流階級の人々の肖像画を描き続け、 51歳で教皇の招きでローマに引っ越すなど、生活のために死ぬまで働いて、 61歳で亡くなりました。その割に作品は多く残っていません。

ニュージーランドはエリザベス女王を君主とする、イギリス連邦王国の一員ですが、 イギリスに関係していた国々でよく見られる、ラファエル前派の作品はありません。

それでも流石にイギリス人画家の作品は多く、ターナー、ゲインズバラ、レイトン、 ジョージ・スタッブス、アルマ=タデマ、フランク・ブラングィン等がありました。

ローレンス・アルマ=タデマ(1836-1912)はオランダ生まれで、4歳で父を亡くし、 弁護士になるべく勉学に励んだのですが、15歳で肉体も精神も病み、 先行き永くないと診断され、好きな絵を描いて過ごす生活を始めました。

ところが、これがよかったのか、健康を回復。 翌年アントワープのロイヤル・アカデミーに入学し本格的に絵の道を志します。

幾つかの工房の助手をした後、27歳で結婚。新婚旅行でイタリアを旅し、 ポンペイの遺跡で古代ローマの壁画に感銘を受け、歴史画の道を進む事を決意。

6年後、妻が2人の幼子を残して死亡。絵が描けなくなったローレンスは 気分転換も兼ねてイギリスに渡り、著名な画家フォード・マドックス・ブラウン の家に招かれ、居合わせた、まだ17歳の画学生ローラに一目惚れ。

イギリスに帰化して彼女と結婚し、以後ヴィクトリア朝の画家として活躍します。

英国での彼の作品に登場する女性のモデルは、ローラである事が多いと言われます。

彼の作品は特注の豪華壮麗な額に収まっているものが大半。

ローラ・アルマ=タデマも名のある画家として遇されました。

ローレンスはラファエル前派の画家達とも親しく交わりましたが、 前派には所属していません。

この美術館にはニュージーランド在住画家の作品も勿論多くあります。

その中ではマオリ族の人々の特色ある顔面彩色肖像画を描いた ゴットフリー・リンダウアー(1839-1926)、 国吉康雄の色調によく似たフランシス・ホジキンス(1869-1947)、 20世紀のニュージーランド画壇のリーダーと目される リタ・アンガス(1908-1970)の作品が印象に残りました。

(添付7:リタ・アンガス作「ベッティ・カーナウの肖像」は著作権上の理由により割愛しました。
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