美術館訪問記-169 ブルケンタール国立博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:シビウの旧市街大広場

添付2:ブルケンタール国立博物館正面

添付3:ヤン・ファン・エイク作
「青いターバンの男の肖像」

添付4:メムリンク作
「本を読む男」

添添付5:アントネッロ・ダ・メッシーナ作
「磔刑」

添付6:ロレンツォ・ロット作
「悔悛する聖ヒエロニムス」

添付7:ティツィアーノ作
「エッケ・ホモ(ラテン語で、この人を見よ)」

添付8:ピーテル・ブリューゲル父作
「嬰児虐殺」

添付9:ニコラエ・グリゴレスク作
「女性の肖像」

添付10:アーサー・クーリン作
「着飾る女達」

ブカレストから飛行機で1時間弱北西に飛ぶと、古都シビウがあります。

1190年、ドイツのザクセン地方からの移住者により建設され、 14世紀から15世紀にかけて、交易や商工業の中心地として発展。 19世紀にはトランシルヴァニア公国の首都となった歴史ある都市です。

ドイツ色の強い町でしたが、第二次大戦後ドイツ人はドイツへの移住を始め、 現在15万人ほどの人口の内、ドイツ人の割合は1%足らずになっています。

旧市街には、15世紀から19世紀にかけての商家に囲まれた大広場があり、 その一角に「ブルケンタール国立博物館」があります。

オーストリア帝国のトランシルヴァニア総督サミュエル・ブルケンタール男爵の 邸宅を1817年に一般開放したものです。

オーストリア・バロック様式の立派な建造物で、ルーマニア最古の博物館。

ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの顧問でもあった男爵のコレクションは 総数1200点を超えるものでした。

3階建ての館には多くの小部屋があり、どの部屋にも15世紀から18世紀までの フランドルやドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、フランス絵画が ぎっしり展示されています。ただほとんどは名の知れぬ画家のものばかり。

それが3階の特別室に入って驚愕に変わります。

ここだけは大部屋で、薄暗い照明の下、作品が1点ずつガラスケースに入れられて 距離をおいて展示されていました。

奥の突き当たりの壁の中央に唯1点だけ置かれているのはヤン・ファン・エイク。 「青いターバンの男の肖像」です。

1430年頃の作で、現存するヤンの最初の肖像画です。

ヤン・ファン・エイク(1390頃‐1441)は、初期フランドルの画家で、 神の手をもつ男と称えられたほど卓越した手腕を発揮し、輝きのある鮮やかな色と、 精密な細部描写という油彩画技法を完璧なものにした、歴史上最初の人物なのです。

彼が絵画に与えた革新は、ルネサンスに匹敵するものがあり、 油彩画技法の確立を筆頭として、超写実とも言えるリアルな絵画を創出したのも 、3/4の向きで一般人の肖像画を描いたのも、作品に署名と日付を書き込んだのも、 商人やブルジョアの肖像画を描いたのも、ヤンが最初というのです。

ヤン・ファン・エイクだけではありません。ヤンの油彩画技法を初めてイタリアに 伝えたと言われる、アントネッロ・ダ・メッシーナ、 アントネッロと同年の生まれでヤンに続くフランドル絵画の雄、メムリンク、 天使の画家、ロレンツォ・ロット、ヴェネツィア派最大の巨匠、ティツィアーノ。

何とこれら最高の画家達の作品がこの一室に並んでいるのです。

その上、ヤンと並ぶフランドル絵画の巨匠、ピーテル・ブリューゲル父の大作が、 隣の小部屋に一作だけ展示してあるのです。

あの、世界最高の美術館の一つと言われる、エルミタージュ美術館でさえ、 ヤン・ファン・エイクはおろか、アントネッロ・ダ・メッシーナもメムリンクも、 ピーテル・ブリューゲル父も、ただの1作も所有していないのです。

それを、この知る人も少ない、ルーマニアの田舎町の、個人所有だった美術館が 全部揃えているのですから。

世界中の美術館を巡って、これら4人の画家を追いかけて来た私にとっても、 現存する彼等の作品全てを観終える事が出来た、記念すべき美術館になりました。

ブルケンタール国立博物館はこの館の中で、今まで観て来たヨーロッパ美術館と、 ヨーロッパ美術館を観終えた3階の最後の部屋が面する、ルーマニア美術館とに 別れています。

こちらのルーマニア美術館はブカレストのルーマニア美術館に比べると 部屋数はずっと少ないのですが、その分密度が濃い気がしました。

ニコラエ・グリゴレスクやセオドール・アマン、シュテファン・ルキアン、 テオドル・パラディ、アレクサンドル・チュクレンク等、既に馴染みの画家が並び、 加えてシビウ出身の画家アーサー・クーリン(1869-1912)が印象に残りました。

美術館訪問記 No.170 はこちら

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