美術館訪問記-168 ザンバッキアン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ザンバッキアン美術館外観

添付2:ザンバッキアン美術館内部

添付3:ルーマニアの切手になったドラクロア作
「オダリスク」

添付4:ピサロ作
「少女の肖像」

添付5:ボナール作
「窓の前の静物」

添付6:ニコラエ・グリゴレスク作
「女性の肖像」

添付7:ニコラエ・グリゴレスクの肖像が印刷されたルーマニア10レイ紙幣

添付8:シュテファン・ルキアン作
「菊を活けた陶器の壺」

ブカレストにはもう一つ見逃せない美術館があります。

それは住宅街の一角にある「ザンバッキアン美術館」

アントワープで商いの修業中に美術に親しみ、ルーマニアに戻って 織物の輸出入の会社に勤めて成功し、美術品を収集したアルメニア人の クリコール・ザンバッキアン(1889-1962)の邸宅だった所です。

ザンバッキアンは、ルーマニア人画家の卵達を庇護し、 画家がまだ駆け出しの頃から、彼等の資質を見抜く目を持っていました。 彼はほどなくルーマニアでは最高の個人コレクションを築き上げたのです。

ザンバッキアンは真の収集家らしく、もともと収集品を私するつもりはなく 1947年には美術品収蔵のために新築した家もろとも、国家に寄贈したのでした。

その後1977年にブカレストで発生した地震後、 収集品はルーマニア・コレクション美術館に移されましたが、 1992年に国立ルーマニア美術館の分館として元の家に戻され、現在に至っています。

美術館は2階建てで、1階、2階の各部屋に19世紀から20世紀を代表する ルーマニア人画家と彫刻家達の作品が展示されています。

2階の1室はコロー、ドラクロア、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ルノワール、 ボナール、マティス、マルケ、ドラン、ユトリロ等のフランス人画家達に 捧げられていました。いずれも個人の家を飾るにふさわしい小さ目の作品です。

ルーマニア人画家達はルーマニア美術館で見た名前が多かったのですが、 前回触れなかったニコラエ・グリゴレスク(1838-1907)の作品が幾つか ありました。彼の作品はルーマニア美術館にもありましたが、画面が暗く、 照明の関係で、うまく写真が撮れなかったので、省略したのです。

グリゴレスクは、彼の肖像がルーマニアの10レイ紙幣に印刷されているほどで、 ルーマニアの近代絵画の礎を築いた画家であり、作家でもある人物です。

彼は10歳になる頃にはイコンを描き始め、18歳時には修道院の壁に イコンを描くようになり、23歳で奨学金を得てパリに出、国立美術学校に入学。

しかしほどなくバルビゾン派に魅せられ、パリを去って、ミレーやコロー、 クールベ、セオドール・ルソー等の助手をしながら修業します。

1867年のパリ万博では7作品を出品するようになり、翌年パリのサロンに入選。

1877年にはルーマニア軍に呼ばれ前線従軍画家として ルーマニア独立戦争の記録画を描く事になります。

その後はフランスで活動していたのですが1890年になってルーマニアに戻り、 農村の風景や農婦達を描く生活をして生涯を終えます。

シュテファン・ルキアンは若い頃、グリゴレスクに画家になるよう激励され、 生涯、グリゴレスクの画業を参考にしながら絵を描いたと告白しています。

ザンバッキアンの援助を受けて大成したアレクサンドル・チュクレンクや ホリア・ダミアン(1912-2012)の作品も展示されていました。

(添付9:アレクサンドル・チュクレンク作「ギターのある静物」および添付10:ホリア・ダミアン作「赤いベストの男」は著作権上の理由により割愛しました。
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