ベルナルディーノ・ルイーニがらみで3回飛びましたが、ルーマニア国立美術館に 話しを戻して、今回は北側にある「ルーマニア美術館」。
ヨーロッパ美術館が2階からの展示に対し、こちらは1階から展示しており 1階の大広間の壁にイコンが並んでいます。
これほどの数のイコンを見た記憶はありません。フレスコ断片も少し混じります。
イコンとは「像」を意味するギリシャ語のeikonに由来しており、 聖像、特に、ギリシャ正教やロシア正教で発達した、キリストや聖母、聖人や 聖書中の出来事等を表した、礼拝のための画像や彫像のことです。
中世まではギリシャやロシアを含む東ヨーロッパでは、絵画と言えば イコンの事を指し、あのスペインで活躍したギリシャ人、エル・グレコも ギリシャにいる間はイコン画家として生計をたてており、 26歳でヴェネツィアに渡った後、西洋絵画を習得しています。
ルーマニアでは19世紀に入るまでは、イコン時代が続いたようです。 イコン画家は自分の為にではなく神の栄光の為に描くと考えられており、 個性を出す事は考えられず、画家名は残っていないのが普通でした。
2階から近代絵画の展示が始まり、3階までほぼ作家の年代順に展示されています。
皆初めて観る画家ばかりですが、印象に残った画家を数人挙げてみましょう。
コンスタンティン・ローゼンタール(1820-1851)は新古典的でルーマニアの 近代絵画の口火を切った画家のようです。31歳で夭折しているのが惜しまれます。
セオドール・アマン (1831-1891)はティソ風に上流社会の生活場面を描く画家で 印象派絵画の先導者でもあったようです。
シュテファン・ルキアン(1868-1916)はルーマニア印象派を代表する画家のようで 肖像画、風景画、静物画やムハ風の装飾画等、作品も多様で展示数も多い。
テオドル・パラディ(1871-1956)はマティス風の 薄塗りの軽やかな色彩が目立ちました。 他のルーマニア人画家とは一味違う感じがしましたが、それも道理。
帰国して調べてみると、パリのモローの下で、マティスやルオー、マルケと共に 12年間を過ごして、1904年にルーマニアに戻り、第二次大戦勃発までパリと 行き来しながら、画家人生を歩んでいるのでした。
アレクサンドル・チュクレンク(1903-1977)には、デュフィに似た、 飛翔するような、自由な空気と音楽性を感じました。