美術館訪問記-164 サン・マウリツィオ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・マウリツィオ教会正面

添付2:サン・マウリツィオ教会内部

添付3:サン・マウリツィオ教会内部:隙間なく絵で埋められている

添付4:サン・マウリツィオ教会主祭壇

添付5:ベルナルディーノ・ルイーニ作
「聖カタリナ」

添付6:ベルナルディーノ・ルイーニ作
「最後の晩餐」

添付7:考古学博物館の中庭

添付8:円塔内のフレスコ画、左端に聖フランチェスコの聖痕受痕がある

添付9:ジョット・ディ・ボンドーネ作
「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会壁画

前回ベルナルディーノ・ルイーニについて書きながら、 彼のフレスコ画で満ち満ちている、世界に類の無い教会の事を思い描いていました。

それはイタリア、ミラノ、その名もベルナルディーノ・ルイーニ通りにある「サン・マウリツィオ教会」

外見は普通の優美なロンバルディア・ルネサンス建築。

だが、中へ一歩入れば、誰でも驚くでしょう。

壁という壁が全て絵で覆われており、絵の描かれていない面が一面もない。

それ程広くない空間なのですが、これだけ隙間なく絵で占められた空間というのは、 世界中でも他に思い当たる場所がありません。

その全てがベルナルディーノ・ルイーニとその一派の手になるもの。

イギリスの美術評論家ジョン・ラスキンは、ルイーニの聖カタリナは ラファエロの描いたそれより遥かに優れていると言っています。

確かにルイーニには、レオナルド・ダ・ヴィンチに共通する、 甘美な優雅さと気品があります。

聖カタリナはアレクサンドリアのカタリナとも呼ばれ、 エジプト、アレクサンドリアの王家の娘で、教養高く、キリスト教に帰依し、 ローマ皇帝の求婚を拒絶したため、車輪に手足を括り付けられて転がされるという 拷問に処されようとされますが、車輪が雷電で壊れたため、斬首されたとされます。

このため、彼女は車輪や、死に対するキリスト教の勝利を意味する棕櫚や、 彼女の高い教養を示す書籍などと共に描かれることが多い。

また彼女は、天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによって、 キリストと婚約させられるという幻視を見たとされ、 「神秘の結婚」というタイトルで絵画の主題にも多く登場します。

サン・マウリツィオ教会主祭壇の左脇に小さな入口があり、奥に抜けられます。

入ると教会と同じくらいの空間があり、ここも壁はフレスコ画で埋め尽くされて、 特に主祭壇の裏に当たる壁は、ルイーニ本人の手により、隙間無く描かれています。

主祭壇の裏にあたる壁の中央には「最後の晩餐」が描かれていましたが、 師のレオナルドの、革新的な、13人全員をテーブルの一方に並べた、 「最後の晩餐」とは異なり、 ユダがテーブルの前に座る、古い描き方になっているのが興味深いところです。

サン・マウリツィオ教会は、調べでは9時オープンでしたが、 9時に行ってみると、扉に9時半開場と貼り出されています。

隣が考古学博物館になっており、覗いていると小太りの70近い女性が出てきて、 「自分はボランティアでこの教会を開けるのですが、絵に興味があるのであれば、 この博物館にも古いフレスコ画が残っていますよ。」と言って、 わざわざ博物館の中までついてきて、案内してくれました。

博物館の中庭には、様々な大きさの大理石の欠片があり、その向こうに 4世紀に建てられた、煉瓦造りの円柱状の塔が残っています。

周りは崩れ落ちていますが、フレスコ画の残る下部は、完全に残っています。

内部の円周に沿って、壁一面に、剥離したフレスコ画がありました。

聖フランチェスコの聖痕受痕の絵があるので、 少なくとも1224年以降の絵ということになりますが、随分と古めかしい。

聖フランチェスコ(1182-1226)は、英語読みでは、サン・フランシスコ。

イタリア、アッシジの生まれで、ジョヴァンニと名付けられましたが、 母親がフランス人だった事から、フランチェスコが通称になりました。

父は裕福な商人で、フランチェスコは享楽的な生活を送っていましたが、 様々な経緯を経て信仰に目覚め、衣服も全て父に返し、文字通り、裸一貫で 清貧の生活を送りながら、キリストの教えに忠実に従う事を説いたのです。

当時の聖職者が用いたラテン語ではなく、普通のイタリア語で、 享楽時代に培った、歌や音楽も使いながらの彼の説話は、人々の心を掴み、 生存中から聖人と見做された程で、 彼同様、全てを投げ打ち、彼の後に続く者も増え、フランシスコ会が結成されます。

フランチェスコはイタリア語の原音に近い読みで、 人名の場合、私は基本的に原音主義を採っていますが、 フランシスコ会は日本にもあり、彼等が使用している日本語名称なのです。

フランチェスコは様々な奇跡を行ったとされていますが、 最も有名なものが聖痕で、 キリストが磔刑時に受けた、両手、両足、胸の傷痕を、 ヴェルナ山中で天使セラフィムから、1224年に受けたというのです。

つまり、キリストと同体視されるべき、初の人間という事になります。

聖フランチェスコは、当時から今に至るまで、キリスト教徒の間では 最も崇敬されている聖人のようで、イタリアの守護聖人にもなっています。

聖フランチェスコの生涯や、様々なエピソードを採り上げた絵画作品は、 彼の死の直後から数多く描かれました。

この事は、神や、遥か昔の聖人達を形式的に描いていた、それまでの主題から、 自分達と同時代の身近な人間を描くという視点をもたらし、 キリストに復帰する事と、慈愛とを説いた彼の教えと共に、教会至上主義から、 人間復活を目指した、ルネサンスの扉を叩いたとも言えるでしょう。

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