ベオグラードから東へ400km程の所にルーマニアの首都ブカレストがあります。 人口188万人。EUの中でも6番目の大都市です。
ブカレストの活気には驚きました。旧共産圏の中では最も発展中の都市でしょう。 古いビルは壊され、新しくモダンなビルがどんどん建っており、 道を行く人々の顔にも活気があります。
それを象徴しているのが添付の写真。 一見何でもないように見える道路ですが、これが幹線道路。
写真では右側に見える幹線道路の中央に双方向3車線ずつの車道が真っ直ぐ走り、 その両側にそれぞれ、双方向の自転車道と歩道が両側を並木に挟まれて通っている。 並木の木と木の間には花が植えられ、歩道の所々に道路に沿ってベンチがある。
更にその外側に人家に入るための一方通行の車道があり、 車道中央の走行車線の両側に駐車できるようになっていて、その外に歩道があり、 その外が人家という構成。
実に見事な都市設計で、こんな道路を他に見た記憶がありません。 この道路が、新しく道路をぶち抜くことの出来る新興国の活力と、 日日の生活の考慮とゆとりという人智を垣間見せています。
ブカレストの中心、革命広場に面して昔のルーマニア王室の宮殿だった 「国立美術館」が立っています。1937年の開館。 所蔵品の多くはルーマニア王室が収集した物です。
同一の建物の中に入口が別々に設定されたヨーロッパ美術館とルーマニア美術館の 2つの美術館が入居しています。
宮殿だった建物の一部が利用されているため、内装も美しく、見応えがあります。
ここは入場料8Lei(1Leiは約30円)に対し撮影料100Leiと撮影料が随分高い。 地下鉄料金が一律2Leiですから、物価に対しては法外な値段と言えるでしょう。
従って写真を撮る人には慣れていないらしく、撮影許可証を着けていても やたらいる監視員に何度か咎められました。
国外の美術品を集めた「ヨーロッパ美術館」は建物の南側に位置しています。
ここは、観客は少ないのですが、監視員は数多く、する事がないと見えて どの部屋から最初に見て次はどの部屋へと、部屋毎に一々教えてくれます。
年代別に2階から始めて3階、4階と上がっていく順路になっていました。
最初に目に留まったのはバルトロメウス・ツァイトブロム(1450-1519)の4作。
ツァイトブロムはドイツのウルムで活躍した画家ですが、 当時のドイツ人画家らしくない、クールで明朗な美しい色彩で軽妙な絵を描きます。
ツァイトブロムの残っている絵は限られ、 彼の絵をドイツ以外で観たのはルーヴルだけで、ここに4作もあるのに驚きました。 マリアの純潔を示す花としては普通ユリなのですが、彼はスズランを使います。
続いてベルナルディーノ・ルイーニ(1480-1532)の「聖ゲオルギウスの帰還」。 聖ゲオルギウスの帰還を聖母子と天使が迎える見た事のない構図です。
聖ゲオルギウスは古代ローマ帝国の軍人ながらキリスト教に帰依し、 ディオクレティアヌス帝の迫害を受けましたが、信念を貫き、 パレスチナで斬首され、殉教したといいます。
竜の生贄にされそうな王女を助け、その町の住民をキリスト教に改宗させたという 伝承で名高く、龍退治の様子は、絵画にもよく採り上げられています。
ゲオルギウスはラテン語読みで、 英語ではジョージ、イタリア語はジョルジョ、スペイン語はホルヘとなります。
ルイーニはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の一人と考えられ、 師匠譲りのスフマートを駆使した、優雅で気品高い女性像を数多く描いています。
第97回のアイルランド国立美術館で触れたミケランジェロの原画に基づく傑作、 「ヴィーナスとキューピッド」がブロンズィーノの筆でここにありました。
観た事のある絵と言えば、エル・グレコの「聖マウリシオの殉教」の 下絵と思われる絵もありました。第31回のエル・エスコリアル修道院にある、 本作は448 x 301cm。ここにある絵は145 x 107cmでした。
モネの画集などにもよく収められている、彼の1860年代の代表作、 「緑色の服のカミーユ」もここにありました。
この絵は1866年のサロンに出品されて好評だったと言われますが、 まだ印象派の片鱗もなく、良質の緑と黒のスカートの柔らかな質感や豪華な衣装、 後ろを振り向くカミーユの自然で流れるような美しさは、当時のサロンには 受け入れ易いものだったでしょう。
この他にもフランチャやクラナッハ、ヴァザーリ、ティントレット、バッサーノ、 ルーベンス、グエルチーノ、スルバラン、ダイク、アーチェン、ホイエン、 ピサロ、ルノワール、シスレー、シニャック、ロダン、ブールデル等があり、 第一級のコレクションなのでした。