美術館訪問記-162 セルビア国立博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:セルビア国立博物館正面、前にあるのはセルビア随一の明君とされるミハイロ・オブレノヴィッチ3世の像

添付2:セルビア国立博物館1階入口

添付3:ギュスターヴ・モロー作
「疲れたケンタウロス」

添付4:ルノワール作
「裸女」

添付5:ゴーギャン作
「果物と瓶のある静物」

添付6:ロートレック作
「若い女性の肖像」

添付7:ティントレット作
「聖母子と寄進者」

添付8:ヒエロニムス・ボス作
「聖アントニウスの誘惑」

添付9:パイヤ・ヨヴァノヴィッチ作
「ドゥシャン皇帝の戴冠」

ハンガリーの南にはセルビア共和国があります。

クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ、マケドニア、 ブルガリア、ルーマニアの8カ国と国境を接する内陸国です。

現在のセルビア共和国の成立は2006年6月とまだ新しく、 首都ベオグラードの人口は123万人。ドナウ川に沿う街で、 かつてはユーゴスラビア社会主義連邦の首都でもありました。

そのベオグラードの中心にある共和国広場に面して、 「セルビア国立博物館」が国立劇場と踵を接して建っています。

設立はオスマン・トルコから独立後の1844年と古く、その後幾多の政変を経ても 生き残り、現在の所蔵品は40万点を超えるといいます。

ただ博物館は2004年から修復中で、私が訪れた2013年6月も、まだ開館の目途は 立っていないという状況なのでした。

国民一人当たりのGDPは約70万円で世界92位と低く、 周辺国と比べても貧困が目に付きました。

博物館につける予算は後回しになっているのでしょう。

従ってこの博物館の所蔵品に限って、私は実物を目にした事はありません。

しかしバルカン半島一と言われるコレクションに触れないままでおくのは 惜しいので、今回は唯一の例外として、作品はカタログ本や インターネットの情報に基づいて紹介しましょう。

さて通常の開館時間の10時過ぎに訪れると、博物館の全面に鉄柵と金網が張られ いかにも修復中といった趣です。開いていた扉を潜って中に入ると薄暗い。

守衛が2人、入口脇のブースに陣取っていましたが、博物館はClosedだと言います。

「そんな馬鹿な。あれだけ博物館の広報と遣り取りして全館は開いていないものの エキシビション一つはやっていると確認して日本からやって来たのに。」と言うと、 広報に電話するように電話器を貸してくれました。

電話して待つこと暫し、細身の利発そうな金髪の若い女性が現れ、 握手して、エキシビションはここではなく別の場所なのだと言います。 それまでのメールの交換ではそんな話はなかったのですが。

話している内に悪いと思ったのか閉鎖中の1階を案内してくれ、 「ここはもともと銀行で、博物館として使用するには使い勝手の悪い所が多く、 修復に時間がかかっているのです。その間コレクションは世界中を回っていますよ。 そうだ日本にも数年前行って7箇所を巡回しましたよ。」と言います。

「え、それは知らなかった。でも日本でエキシビションがあれば、 必ずカタログ本が作成されている筈だから日本で買えますね。」と言うと、 「日本で買う必要はない。ストックが有るし、日本語は誰も読めないから 一冊差し上げましょう。」と言って、やや厚めのカタログ本を進呈してくれました。

中を見るとコロー、ギュスターヴ・モローから印象派、後期印象派、ルドン、 ボナール、ヴュイヤール、マティス、ヴラマンク、ドラン、デュフィ、ドンゲン、 ピカソ、ユトリロ、パスキン、シャガール、キスリング等総数123点。

フランスで活躍した画家達の近代絵画のコレクションで、 2005年から2006年にかけて宮崎や新潟等7箇所を巡回しており、 東京は日本橋三越本店の7階で2006年2月から3月にかけて開催していました。

東京で開かれる目ぼしい展覧会には出かけて来ている私も、 百貨店開催の展覧会は落ちこぼれがありました。

これらだけでも超一流のコレクションですが、博物館のホームページを見ると、 カルパッチョ、ティツィアーノ、ティントレット、ティエポロ、カナレット、 グアルディ、ヒエロニムス・ボス、ヤン・ブリューゲル父、ルーベンス、ダイク、 ホイエン、エル・グレコ等のオールド・マスターも勢揃いしています。

勿論セルビア人画家達の作品も多く、6000点以上の絵画を所有。

その筆頭に挙がるのがパイヤ・ヨヴァノヴィッチ(1859-1957)。 ウィーンで絵画を学びバルカン半島の歴史に基づく絵を多く制作しています。

ドイツ人やイギリス人、オーストリア人、ロシア人画家達の作品や 国貞、豊国、広重、歌麿等の浮世絵も所蔵。 早い開館が待たれる博物館です。

ポーランドでもそうでしたが、ここでも博物館の広報の人は勿論、 守衛さんやレストランのウェイトレスも普通に英語を話し、 昔の共産圏の国々では英語を操る人が多いのを再認識しました。

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