美術館訪問記-156 王宮美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カレル橋越しに見たプラハ城、尖塔が目立つのが聖ヴィート大聖堂

添付2:王宮美術館正面

添付3:王宮美術館内部

添付4:クラナッハ作
「聖カタリナと聖バルバラ」

添付5:クラナッハ作
「マルティン・ルターの肖像」
ウフィッツィ美術館蔵

添付6:クラナッハ作
「不釣り合いなカップル」 

添付7:ハンス・フォン・アーヘン作
「少女の頭部」

添付8:ティツィアーノ作
「身づくろいする女性」

添付9:ヤン・クペツキー作
「シュレイヴォーゲル嬢の肖像」

プラハの街を見下ろすフラッチャニの丘に鎮座するプラハ城は 現存する城の中では世界で最も古く最も大きなものですが、 ボヘミア地方を支配したハプスブルク家の居城だった所です。 その中心には重厚なゴシック様式の聖ヴィート大聖堂が聳えています。

フラッチャニ広場からプラハ城に入ると左手に「王宮美術館」があります。

ここには神聖ローマ帝国皇帝(1576-1612)でボヘミア王(1575-1612)でもあり、 首都をウィーンからプラハに遷都したルドルフ2世(1552-1612)のコレクションが 収められています。

尤も、カトリックとプロテスタントの間で戦われた、最後の宗教戦争とも言われる 30年戦争終結時の1648年、プラハを占領したスウェーデン軍が コレクションの大半を持ち去ったため、残っているのはその難を逃れ、 秘匿されていたものと、他に置いてあったハプスブルク家のものに限られます。

それでも流石に当時文化の中心としてプラハに芸術家を招集したルドルフ2世の コレクション。数は多くないものの粒よりの作品が揃っているのでした。

先ず目を惹いたのがルーカス・クラナッハ父の「聖カタリナと聖バルバラ」。 大きな祭壇画の一部を切り取ったものですが、 クラナッハとは思えぬ端正な表情の聖人達に驚かされたのです。

ルーカス・クラナッハ(1472-1553)はドイツ・ルネサンスの雄ですが、 商才に長けた人物で、大きな工房を構えて沢山の注文をこなす画業の傍ら、 薬局や印刷所を経営して多大な利益を挙げ、 ヴィッテンベルクの市長を務めたりもしています。

ルーカスは後に彼の姓になるドイツ、クロナッハの生まれで、画家だった父の下で 修業を積みますが、詳細は不明で、彼の名が歴史に初めて登場するのは当地の領主、 ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた1504年の事です。

彼は歴代の選帝侯に仕えるのですが、拘束は非常に緩やかだったようで、 他からの絵の注文や副業にもせっせと励み、数多くの肖像画や宗教画、なかんずく 需要の多かったヴィーナスやルクレティア等の裸体画を大量に残しています。

ヴィッテンベルクで宗教改革の火ぶたを切ったマルティン・ルターは 11歳の年下ながら親友で、ルターの結婚の媒酌人も、 彼の長男の洗礼式の立会人も務めています。

またこの関係を利用して飛ぶように売れたルター訳の新約聖書は勿論、 彼の著作一切を自分の印刷会社で出版。印刷物は自分の経営する本屋で売り、 印刷用紙の売買もして何重にも儲けたのです。

勿論本業の絵の方でも、個人崇拝されてきたルターの肖像画を量産。 ルター本人だけでなく彼の妻や両親の肖像画も描いています。

ルーカスの次男も同じ名前の画家になっており、父の死後も工房を引き継いで 父の絵によく似た絵を描いているので混同しないようにしなければなりません。

クラナッハの絵は王宮美術館にある「不釣り合いなカップル」のように どれも特徴のある表情をしており、「聖カタリナと聖バルバラ」のような写実的な 表情の絵は見た事がなかったので驚いたのですが、ルネサンス的な名画です。

他には前回触れたハンス・フォン・アーヘンの佳い肖像画がありました。

アーヘンはルドルフ2世の信頼を得て、 1603年にはイタリア、ヴェネツィアへ絵の買い付けに行ったり、 トリノやマントヴァ、モデーナの宮廷に寄って諸侯の令嬢の肖像画を描き、 それをプラハに送ってルドルフ2世の新婦選びに役立てたりしているのです。

ルドルフ2世は結局生涯妻帯しませんでしたが。

アーヘンが買い付けたかどうかは判りませんが、ティツィアーノの 「身づくろいする女性」がありました。見た事のある絵だとは思ったのですが 帰国して調べてみるとルーヴル美術館に全く同じ絵がありました。

王宮美術館のカタログ本によるとティツィアーノの工房で同じものを頼まれ 作成したもののようです。両者の寸法は少し異なります。

外国の画家の作品ばかりでなくチェコの画家の作品も勿論沢山ありました。 中では前回も触れたヤン・クペツキーの肖像画が訴えかけて来るものを感じました。

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