美術館訪問記-157 ロブコヴィツ宮殿

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ロブコヴィツ宮殿外観

添付2:ロブコヴィツ宮殿内部

添付3:カナレット作
「セント・ポール大聖堂のあるロンドン風景」

添付4:クラナッハ作
「聖母子と聖カタリナ、聖バルバラ」

添付5:ピーテル・ブリューゲル父作
「干し草作り」

添付6:ピーテル・ブリューゲル父作
「干し草作り」拡大図

添付7:ピーテル・ブリューゲル父作
「雪中の狩人」
ウィーン美術史美術館蔵

プラハ城内の東端の出口近くに「ロブコヴィツ宮殿」があります。

この宮殿はプラハ城内唯一の私有財産でロブコヴィツ家の所有物です。

最初のプリンス・ロブコヴィツは、ルドルフ2世と後を継いだマサイアスと フェルディナント2世の3代に渡る王家の首相を務めた、ボヘミアの貴族で、 以後、プラハ城内にあった16世紀半ばに建てられた宮殿を居城として、 連綿として住み継いできているのです。

とはいえ、これまで平穏無事だった訳ではなく、 1939年にはナチス・ドイツによって占領され、1945年に返還されたものの、 1948年にはチェコ共産主義政権に剥奪され、 1939年からアメリカに亡命していたロブコヴィツ家は1989年の共産政権崩壊後、 返還要求裁判の結果、2002年に所有権を取り戻しています。

2007年にロブコヴィツ宮殿博物館として一般公開。

入場料にはオーディオガイド料金が含まれており、 チェコ語以外に日英独仏西伊露語を選ぶ事が出来ます。

宮殿は3階建てですが、1階はオフィスや売店、レストランがあり、 先ず3階に上がり、手渡されたフロアーマップに赤印で記載された お勧めポイントを聞きながら見学していきます。

こういう施設によくある歴代の家族の肖像画を飾った部屋や陶磁器、宝物の部屋、 銃火器が並んだ部屋の他に数々の楽譜や名器のコレクションもあり、 ロブコヴィツ家が代々音楽に深い造詣を持ち、 音楽家達を支援して来た事を物語っています。

ヘンデルの直筆のメサイアの楽譜にモーツァルト直筆の手直しが入っている 楽譜のオリジナルや、長年支援し続けたベートーベンの所持品、 ベートーベンの交響曲5番・6番のオリジナル楽譜なども展示されています。

特にベートーベンがナポレオンに捧げようと作曲した、エロイカの第3楽章は、 自ら皇帝になったナポレオンに失望し、最大の支援者であったロブコヴィツ家に 捧げられたということです。

当代のプリンス・ロブコヴィツも音楽家達を支援しており、 この日も2階のコンサートルームで有料演奏会が開かれていました。

絵画作品もロブコヴィツ家ゆかりの人々の肖像画やカナレットの作品、 前回触れたクラナッハの佳品「聖母子と聖カタリナ、聖バルバラ」もありました。 こちらの聖カタリナと聖バルバラはいかにもクラナッハという顔をしています。

ここの白眉はピーテル・ブリューゲル父の「干し草作り」です。

ピーテル・ブリューゲル(1525頃-1569)はフランドル地方の巨匠で ルドルフ2世のお気に入りの画家でもあり、ウィーン美術史美術館には ルドルフ2世の集めた12点もの作品が所蔵されています。

ピーテル・ブリューゲルに関する情報は乏しく、生年もはっきりしていません。 記録のある最初は1551年アントワープの聖ルカ画家組合の登録で、 この後イタリアを3年ほど歴遊してアントワープに戻り、1563年には結婚して ブリュッセルに移り住んでいます。

この頃から農民生活に題材を採った絵を多く描き「農民画家ブリューゲル」とも 呼ばれています。

ここにある「干し草作り」は1565年に1年がかりで描いた連作月暦画の1作で 2か月毎に移ろい行く農民の生活を詩情豊かに描き出しています。

本作は6,7月に相当すると考えられていますが、 現存するのは6作中5作で春の部分が失われたと考えられています。

連作月暦画の中で最も有名なのは冬の部分の「雪中の狩人」で、 この絵は教科書や複製、画集でご覧になった方も多いでしょう。

ピーテル・ブリューゲルは同名の長男とヤン・ブリューゲルという次男も 著名な画家になっており、ヤンの息子で同名のヤン・ブリューゲルも画家という 画家一家のため、名前に父や子をつけて区別しています。

ただアルファベットで書くとピーテル・ブリューゲル父は姓をBruegelと綴り、 子供や孫はBrueghelと綴っているので一目で区別できますが。

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