美術館訪問記-152 プーシキン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:プーシキン美術館内部

添付2:プーシキン美術館正面

添付3:ミケランジェロ作
「ダビデ」石膏像

添付4:ボッティチェッリ作
「受胎告知」

添付5:プーシキン美術館内部階段

添付6:ルノワール作
「女優ジーン・サマリーの肖像」

添付7:ゴーギャン作
「アルルの夜のカフェ」

添付8:マティス作
「ピンク・スタディオ」

添付9:ゴッホ作
「赤い葡萄畑」

第108回から続けた、芸術家の生家や住まいが美術館になっている所は、 ひとまず打ち切りにして、これからはまた 当初の思いつくままに採り上げて行くスタイルに戻りましょう。

まだ触れていない国が幾つもあり、カバーしようと思っていたので、 先ずロシア、モスクワにある「プーシキン美術館」についてお話しましょう。

この美術館では稀有な体験をしました。 印象派やポスト印象派、ナビ派、マティス、デュフィ等の集まる一角があり、 その部屋に入った途端、陶酔感を味わい至福の感じに包まれたのです。

加山雄三の歌のセリフに「幸せだなあ、・・・僕は君といる時が一番幸せなんだ」 というのがあり、私の若かりし頃によく流れていたので、 耳にこだましているのですが、まさにその通り、「ああ、幸せだなあ」と感じ、 昂揚感のままに30分間程をその部屋で過したのでした。

長い間いろんな美術館を訪れてきましたが、 あのように心底幸福感を感じた事は後先ありません。

その時の体調やバイオリズム等が関係しているのかもしれませんが、 強い印象として残っています。

プーシキン美術館はギリシャ神殿風の2階建て。1912年の開館です。

提唱者はモスクワ大学芸術学部のツヴェターエフ教授でした。 大富豪や皇帝を説き伏せ、ロシア帝国の首都モスクワに美術館を設立したのです。

当初は時の皇帝の名を採り、アレクサンドル3世芸術博物館として発足。 1937年ロシアの国民的詩人プーシキンの没後100年を記念して改称しました。

入館すると直ぐミケランジェロのダビデ像の実物大の彫刻があり、 他にもミロのヴィーナスやサモトラケのニケ等が散見され、 何だ、模造品の寄せ集めかと一瞬ガッカリしたのですが、 これらは元来モスクワ大学芸術学部の学生の教育目的に作られた物でした。

このような石膏像は入口の両側の2部屋と2階のメディチ家礼拝堂のコピー等の 3部屋だけで、後の25部屋はギリシャ、ローマ時代の本物の発掘物や、 13世紀からのイタリア美術からヨーロッパ各地の近代絵画まで50万点を超える 絵画、版画、彫刻等の所蔵品を誇っています。

1階にあったシモーネ・マルティーニ、ボッティチェッリ、ブロンズィーノ、 ティエポロ等のイタリア人絵画、ブリューゲル親子、ルーベンス、レンブラント、 ヨルダーンス、ステーン、デ・ホーホ等のフランドル勢、 グレコ、スルバラン、ムリーリョ、ゴヤのスペイン人画家達、 クロード・ロラン、プッサン、ヴァトゥー、グルーズ、ダビッド等の フランス勢等も十分満足のいくものでしたが、 大理石の円柱の並ぶ荘厳な階段を上って2階の展示室に入ると、前述したような 近代絵画の良品に取り囲まれ、心楽しい時間を過ごす事になりました。

マティス16点、ゴーギャン11点、セザンヌ10点、ピカソ7点、モネ7点、 ゴッホ3点、ルノワール3点、ボナールの巨大画2点、その他一通り揃っており、 マイヨールやロダンの彫刻もここかしこに置かれています。

何れも選りすぐりの佳品のみで、力の無い作品が1点もない。

どうしてこれだけのコレクションがここにあるのかと言うと、 ロシアに存在した、第11回に述べたアメリカのドクター・バーンズのような 2人の特別なロシア人収集家のおかげでした。

その名はセルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフ。

2人共モスクワ在住の民間人でしたが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、 その頃ほとんど注目されなかった印象派の作品を始めゴーギャン、ゴッホ、ピカソ、 マティス、ボナール等を第一級作品だけを選んで別々に買い漁ったのでした。

彼等の収集品はロシア革命によって国有化され、 1948年にはかなりの部分がエルミタージュ美術館へ移送されましたが、 それでもなお残った素晴らしいコレクションが我々の目を楽しませてくれるのです。

ゴッホが描いたものの中で彼が生存中に売れた唯一の絵といわれる 「赤い葡萄畑」がここにあります。

私が妻と最初に訪館したのは2003年でしたが、 その後19~20世紀ヨーロッパ・アメリカ美術ギャラリーと個人寄贈コレクションの 2つの別館が開館し、プーシキン美術館は3館で構成されるようになりました。

10年後の2013年に訪れた時は本館の周りは入館待ちの行列ができており、 30分待ちの盛況でしたが、隣のヨーロッパ・アメリカ美術ギャラリーはがらがらで、 展示会場の構成が全く異なっているためか以前感じた幸福感は味わえませんでした。

3館になり、展示面積が大幅に拡大されたため、 それだけ鑑賞の楽しみは増加していましたが。

十年一昔と言いますが、ロシアは10年間で大きく変わっていました。

10年前はどこに行っても仏頂面をしてニコリともしない、 能面のような顔にしかお目にかかれず、 にこやかな応対に慣れている我々には全く異質の世界だったのですが、 10年後は交通機関の窓口、ホテルの受付、美術館の入場券売り場まで 笑顔が溢れていました。

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