美術館訪問記-149 サー・ジョン・ソーン博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サー・ジョン・ソーン博物館正面

添付2:サー・ジョン・ソーン博物館入口

添付3:サー・ジョン・ソーン博物館内部

添付4:サー・ジョン・ソーン博物館内部彫刻ギャラリー

添付5:サー・ジョン・ソーン博物館内部旧居間

添付6:ホガース作
「放蕩一代記」

添付7:カナレット作
「リヴァ・デッリ・スキアヴォーニ」  

ロンドンのホルボーンはヴィクトリア朝時代の名残のある厳めしい建物が並ぶ法曹街ですが、地下鉄ホルボーン駅近くの公園に面して「サー・ジョン・ソーン博物館」があります。

サー・ジョン・ソーン(1753-1837)はロンドンにある英国銀行本店の設計で有名 な建築家ですが、様々な公共的建築で得た収入を美術・骨董品の購入に注ぎ込み、 膨大なコレクションの山を築き上げました。

ソーンは自宅兼設計事務所だったこの家にそれらの収集品を全部収納したのです。

家は横幅の狭い縦長のビルで4階建て。地下1階。 やがてこの家だけでは収まらなくなり、裏の家と隣の家を買い足す事となりました。

博物館の前にはイギリスでは珍しく待ち行列が出来ていました。

館内混雑で無数にある収集品の破損を恐れての事らしく、 1人、2人を数分毎に入館させているためでした。 ショルダーバッグ類は全てビニールの手提げ袋に入れさせられます。

20分程待って中に入ると、ソーンが3つの家を大改造して築き上げた、 ドームや中庭もある、採光も考えた部屋々々が配されています。

その至る所にエジプト・ギリシャ・ローマの建築・装飾・家具などのレリーフ、 彫刻、絵画、陶器、骨董品がある所では整然と、大部分は雑然と置かれています。

あちこちに置かれた凸面鏡が雑然感を増殖しています。

これら凸面鏡はソーンの設計により数多く設けられた採光用の天窓や窓からの光を 反射し、建物内部を自然光で満たし、建物の内部自体を詩的空間にしたいとする ソーンの意志と計算により設置されているといいます。

詩的空間にするために体系だった展示方法をとらず、 多数の収蔵品を混在させることにより、時代やジャンルが複雑に絡み合った 空間を創造しようとしたのだそうです。

彼の偏執狂的な収集品の多さには圧倒されるしかありません。

これらの品々は全て彼の死亡時のまま保存されており、 建物にも手は加えられていないとか。

ソーンは生前から自宅を博物館とする事を志し、仲違いしていた一人息子に 相続させないため、永年議会に働きかけ、このためだけの特別法を設立させて 生きているうちに自宅と収集品をすべて国に寄贈し、 彼の死後直ちにイギリス最小の国立博物館として開放したというのですから おそれいるしかありません。

雑然とした中で、居室だった部屋と絵画展示室だけはスッキリしています。

絵画展示室は2部屋あり、1部屋は初のイギリス人著名画家として国民的人気を 誇るウィリアム・ホガースに充てられ、油彩画が12点あります。 その内の8点はホガースの代表作とされる「放蕩一代記」の連作原画で、 このシリーズは銅版画として広く一般に流布しました。

もう1部屋にはカナレットの風景画が3作品。 どれも鮮やかな色彩が残っており、その分細密な描写が鮮明に判ります。

イギリスにこれだけ保存のよいカナレット作品が残り、 本家のイタリアではくすんだ色の作品が多いというのは少し皮肉ですね。

これら以外にも親友だったターナーの油彩画と水彩画や、 ソーンがイタリア留学中に会ったこともあるという ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの スケッチや版画が所々に飾られています。

一旦外に出て入り直す隣のビルはソーンのオフィス兼ライブラリーだった所で、 彼の収集した建築設計図面が自分の9000枚も含め3万枚あるといいます。

中でもイギリスに新古典主義建築を広めたロバート・アダムの設計図は 世界最多を誇るのだとか。

建築学科の学生らしい若者が数人、真剣に見入っていました。

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