美術館訪問記-148 レアテュー美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:レアテュー美術館入口

添付2:ジャック・レアテュー作
「文明の勝利」
ドイツ、ハンブルク美術館蔵

添付3:ジャック・レアテュー作
「母の肖像」

添付6:レアテュー美術館の裏通り

添付7:アルルの橋のたもと 

添付8:アルルのフォーラム広場

添付9:ゴッホ作
「夜のカフェテラス」
オランダ、クレラー・ミュラー美術館蔵

ペルピニャンの東、地中海のリオン湾の向いの場所にアルルの町があります。 ゴッホがゴーギャンと暫く同居したことで有名な南フランスの町です。

この町を貫通するローヌ川沿いに「レアテュー美術館」があります。

ジャック・レアテュー(1760-1833)という画家を知っている人は 専門家でもほとんどいないでしょうが、アルルの画家の家に生まれ、 パリに出て1790年にはローマ賞を獲得したアカデミアンです。

彼はローマ、ナポリを経て故郷のアルルに戻り、理想の画家の集団住居を夢見て、 15世紀に建てられたマルタ騎士団の修道院を買い取ります。

同じ夢を抱いたゴッホより90年以上前のことでした。

ゴッホはそれでも弟テオの協力でゴーギャンという同居人を得たのですが、 レアテューは一人の賛同者も得ることなく、自分の住居兼アトリエとして この広い屋敷を使いました。

彼の死後、残された彼の作品ごと住居は市に譲渡され、1868年美術館として開館。

ゴッホがアルルに移住したのが1888年でしたから、 ゴッホはこの美術館を訪れ、画家の集団生活を思いついたのかもしれません。

3階建てでレアテューの油彩画36点、デッサン34点が1,2階に展示されています。

2階の2室はピカソのデッサン55点と油彩画2点が占めています。 これらは1971年、ここで2回目のピカソ特別展を催した時に、 1960年アルルに滞在した事のあるピカソが市に寄贈したものです。

中に1点、ピカソの母マリアの肖像画がありました。 敬愛する母を愛情豊かに描いた作品で、他では見られない貴重なものです。

これはピカソの最後の妻ジャクリーヌ・ロックが、 ピカソを追ってピストル自殺する1年前、1985年に寄贈したものです。

ここは1965年、写真のコレクションの展示も始めましたが、 これはフランスでは最初のことでした。

他にも地元の画家達の作品やザッキンの彫刻等も展示されていました。

レアテュー美術館を出てローヌ川沿いを歩いていると、近代的な橋が架かっており、 橋のたもとの、昔ゴッホがイーゼルを置いていたであろう場所に、 その絵を示した大きな記念碑が置いてありました。

アルルは紀元前6世紀頃にギリシャ人によって創設され、 その後占領した古代ローマ人の築いた円形闘技場等が残る歴史ある街ですが、 ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」のフォーラム広場も その絵が描かれた125年前と変わらぬ佇まいで静かに時を刻んでいました。

「夜のカフェテラス」では何も表示されていなかったカフェの壁だけが CAFE VAN GOGHに変わっていましたが。

(*添付4:ピカソ作「母の肖像」1923年 および 添付5:ザッキン作「恋人達」は著作権上の理由により割愛しました。
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