美術館訪問記-147 イアサント・リゴー美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:イアサント・リゴー作
「自画像」1698年

添付2:イアサント・リゴー作
「ルイ14世」
ルーヴル美術館蔵

添付3:イアサント・リゴー作
「母の肖像」
ルーヴル美術館蔵

添付4:デュフィ作
「ペルピニャンのアトリエ」

添付6:ジャック・ルイ・ダヴィッド作
「自画像」1791年

添付7:マイヨール作
「女性の肖像」

添付8:近くのレストランの屋根の上のダリの彫像 

フランスの地中海とスペイン国境に近い町ペルピニャンに 「イアサント・リゴー美術館」があります。

イアサント・リゴー(1659-1743)はここペルピニャンで スペイン人の仕立屋の家に生まれましたが、4ヶ月後にピレネー条約で ペルピニャンがフランス領に組み入れられたため、以後フランス人となります。

リゴーの祖父や曾祖父は画家だったようで、リゴーも若くして画家を志し、 モンペリエやリヨンでルーベンス、レンブラント、ティツィアーノの模写を しながら勉強した後パリに出て、1682年にはローマ賞を獲得します。

仕立屋の息子として衣服の形状や質感の表現と、 対象の人物の内面や地位をも示唆するポーズの付け方に長けていたリゴーは、 その細密な写実描写と華やかな色彩も合せて肖像画の名手として時代の寵児となり、 彼の代表作と見做される1701年に描いた「ルイ14世の肖像」を始めとして、 4世代のフランス国王の肖像画を描くまでになります。

彼の名声はフランス国内のみならずヨーロッパの他の国々にも広まり、 スペイン王フェリッペ5世やポーランド王アウグスト3世の肖像画等 王侯貴族の肖像画依頼に忙殺されるまでに至るのです。

そういうリゴーが、まだ忙しくなる前、ペルピニャンの自宅で母を描いた 肖像画は、対象を2つの異なる視点から捉えており、興味を引きます。

彼の自宅だった美術館は3階建て。各階に展示室があり、 1階に入場券売り場、2階にブックショップがあります。

母親によく似たリゴーの自画像を含む作品9点と、1942年からペルピニャンに住み、 ここにいる間に最も円熟した作品を残したデュフィが9点、 ピカソの父に絵画を学んだピエール・ダウラ(1896-1976)の作品24点が 数としては多い。

ダウラは最後は妻の故郷であるアメリカ人となりましたが、生まれはカタルーニャ。 そのためか特別に2部屋が与えられていました。

フランス革命後でまだナポレオンの首席画家になる前の ジャック・ルイ・ダヴィッドの何か不安げな自画像が印象的でした。

他にもヤン・ブリューゲル、コロー、ピカソ、マイヨールの油彩画等がありました。

美術館の前に由緒ありげな古びた構えのカフェがあり、一休みしましたが、 ウエイトレスの息子さんが岐阜にいて日本人と結婚し、 2歳の女の子がいるとかで、その子の大きな写真を見せてくれました。

少し行った広場にあるレストランの屋上にはサルバドール・ダリ作の 「全宇宙の中心、ペルピニャン駅」の像のコピーが飾られていました。

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