美術館訪問記-146 コンスタン・ペルメーク美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:コンスタン・ペルメーク美術館入口

添付2:コンスタン・ペルメーク美術館裏庭

添付6:ベルギー旧1000フラン紙幣表裏

画家アンソールが生涯愛した町、ベルギー、オステンド。

その隣町ヤベックに「コンスタン・ペルメーク美術館」があります。

ここはベルギー表現主義の主導者だったコンスタン・ペルメーク(1886-1952)が 1929年、自身で建てた家で、死後ウエストフランダース州が買い取り、 州立の美術館としたものです。

田園の中に個性を主張するように佇立しており、広い庭といい、 ペルメークがこの地方の名士だったことがよく判ります。

ペルメークはアントワープで市立美術館の学芸員の家に生まれ、 ブルージュの美術学校を出、ゲント郊外の小さな村、 シント・マルテンス・ラーテムに落ち着きます。

この村はベルギーの芸術家村として有名で、20世紀前半、 多くの芸術家達がここで暮らしました。今では高級住宅地となっています。

第一次世界大戦に招集され負傷した彼はイギリスに送られ、 大戦終了後、家族のいるオステンドに戻り、故郷の風景や漁師の生活を捉え、 20世紀前半のベルギー表現主義最大の作品群を、 骨太の線と、温もりのある黄褐色を用いて次々と制作していったのです。

強烈な色彩、どこか土臭い生命力、激しい感情表現、荒々しいタッチとデフォルメ、 表現主義の作品には好むか好まざるかに拘わらず、 観る者の心情を揺さぶる強さを感じさせられます。 ヤベックに住居兼アトリエを築いた後は絵画と並んで彫刻にも打ち込みました。 その彫刻作品の多くはこの美術館の庭やギャラリーに展示されています。

館内には父のアンリや義理の息子のピエール・デヴォー、友人達の作品も並び、 親密な芸術空間を作り出しています。

ペルメークはユーロに切り替わる前の1000フラン紙幣を飾っています。

こうしてみると、自宅だったところが美術館になっている画家だけが、 旧ベルギー紙幣を飾っていたというのも面白いですね。

(*添付3:コンスタン・ペルメーク作「漁師の妻」, 添付4:コンスタン・ペルメーク作「オステンドの海」および添付5:コンスタン・ペルメーク作「自画像」は著作権上の理由により割愛しました。
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